【人物図鑑】地元企業と人材との〝懸け橋〟を担う人財ビジネスの先駆企業

【画像】株式会社ACR 代表取締役 藤井太一

株式会社ACR
代表取締役
藤井太一

【画像】株式会社ACR 代表取締役 藤井太一
株式会社ACR
代表取締役
藤井太一

【ふじい・たいち】
1958年11月3日生。福岡市出身。ラ・サール高校卒~慶應義塾大学商学部卒。在学中に新聞研究所に所属してマスコミ専攻、大学卒業後に講談社へ就職して、情報誌『Hot-Dog PRESS』編集部で編集業務を担当する。1983年11月創業者である父・藤井英一の急逝を受け、家業である株式会社エーシーアール(現株式会社ACR)に入社。法人営業を担当した後、1987年同社専務取締役に就任、1996年4月同社代表取締役に就く。趣味は飲食店探訪、温泉めぐり、海外旅行。好きな言葉は「変革なくして進歩なし」。一般社団法人日本人材紹介事業協会副会長も務める。

【3Points of Key Person】

九州で初となる人材紹介会社の3代目社長で全国協会副会長
◎ 講談社での雑誌編集を経て創業者である父の急逝で帰郷・入社
◎「人と企業の懸け橋となり社会に貢献する」の実現に取り組む

人材紹介をはじめ人材派遣や就職支援を手掛ける

【画像】株式会社ACR 代表取締役 藤井太一

「人生を左右するのが人材紹介という仕事であり、本人の人生はもちろん、家族の将来にも大きな影響を与えることにもなる」
九州初の人材紹介会社である株式会社ACRの藤井太一代表は、自らの仕事について真摯な面持ちで語る。
人材紹介事業をはじめ、人材派遣事業、再就職支援や採用・教育コンサルティング、講演会・セミナーの企画・運営などの就業支援事業を手掛ける同社では、グループ会社において求人情報誌の編集・発行や社員教育、適性検査、給与計算代行、イベントプロデュースなどの事業を展開している。

「地元・福岡で長年営んでいるので、地元の中堅・中小企業を中心にある程度の信頼関係は築けている。そして、取引先や転職者らからの〈おかげで良い転職ができた〉〈おかげさまで会社の業績が伸びている〉などの言葉が、大いに励みになっている」と、半世紀余りの業歴を持つ同社の三代目社長である藤井代表は顔をほころばせる。
地元の食品メーカーに工場長候補として紹介した人物が入社後相次ぐヒット商品を開発し、その会社を大きく飛躍させたことなどは、その代表例である。

日本の人材ビジネスは、1999年の職業安定法改正で職業紹介事業においても大幅な自由化をもたらされた。その結果、日本の産業界は業界・業種を超えた労働移動が飛躍的に伸びた。
全国の人材紹介会社で組織した、厚生労働大臣許可の業界団体である一般社団法人日本人材紹介事業協会の副会長でもある藤井代表は、「自社の繁栄と同じくらい業界全体の発展が大事であり、業界の地位向上や知名度アップに努めていきたい」との思いを語る。九州内に事業拠点を構える同協会会員企業をメンバーに九州地区協議会を立ち上げた藤井代表は、自ら代表世話人を務める。

父の急逝で入社、事業再建でグループ経営を導入

【画像】株式会社ACR 代表取締役 藤井太一

1967年1月に創業者であり、藤井代表の父だった故藤井英一氏は、適正診断の企画・販売を目的に株式会社アビリティ・コンピュート・リサーチ(現株式会社ACR)を設立した。
翌年3月、福岡都市圏で求人情報のフリーペーパーを配布し始めた同社は1970年2月 九州初となる労働大臣許可の有料職業紹介所を開設した。

「いま振り返っても創業者の父はアイデアマンだったと思う。法整備以前に取引先からの依頼で人材の派遣を手掛けており、コールセンターもいち早く開設した。もっとも、時代的に早過ぎた感もあり、直ぐには業績に反映されなかった」と語る藤井代表は慶応義塾大学に学び、新聞研究所(現メディア・コミュニケーション研究所)の一員を務めて、マスコミ志望だった。
卒業後、大手出版社・講談社に入社して若者向け情報誌『Hot-Dog PRESS』編集部に配属された藤井代表は、「日本経済はバブル真っ最中で非常に勢いのあった時代なので、毎日がお祭りみたいで楽しかった」と目尻を下げる。
もっとも、入社2年目に父ががんで急逝したため、後ろ髪を引かれる思いで帰郷した藤井代表は、家業である株式会社エーシーアール(現株式会社ACR)に入社した。

「後継者だったにも関わらず、最初は〝一兵卒〟として毎日50軒の飛び込み営業を経験したことが、かえってよかったと思う。第一線で頑張っている社員の大変さや苦労が、身に染みて分かった」と、藤井代表は当時を振り返る。
父亡き後、会社の代表を約13年務めた母の跡を継いで藤井代表が同社トップに就任したのはバブル崩壊後の1996年4月のことだった。「就任時は折からの不景気に加え、当時最先端ビルだったイムズへの出店負担や北九州支店の開設失敗も重なり、代表に就いてから初の仕事はリストラだった」ことを藤井代表は明かす。
リストラに際しては多岐にわたっていた事業内容を見直して、各事業部門の分社化を図った。一連の分社化においては会社からの出資に加えて、グループ会社の社長に就任する各部門長本人も個人で出資してスタートした。「定年の無い経営者になった半面、一歩間違うと自分も路頭に迷うリスクもあり、皆人が変わったように仕事をするようになった。おかげさまで、当時分社したグループ会社は今もすべて存続している」

会社再建にめどを付けた藤井代表は、「これからの時代では、コンクリートに投資ではなく、ヒトへの投資をすべき」との思いで自治体へ企画書を提出した。
その思いは、福岡県主催の若年者就職支援事業『福岡しごと塾』としてカタチになった後、『福岡県若者しごとサポートセンター』(通称『ジョブカフェ福岡』)として今日、10代・20代の若者らを対象に就職活動を幅広く支援している。
一方、福岡青年会議所に10年間所属して副理事長まで務めた藤井代表は、「若い時にこそ、遊んでおくべきだ。いっぱい遊んだ経営者の方が、真面目一辺倒だった経営者よりも会社の業績を伸ばしている」という持論を持つ。

「雇用は最大の福祉である」を信条に社会貢献

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「今後は、シニア世代が活躍する場づくりを通じて地域に貢献していきながら、母子家庭への支援にも努めていきたい」と意欲をみせる藤井代表の信条は、「雇用は最大の福祉である」だ。
そして、「人と企業の懸け橋となり社会に貢献する」を経営理念に掲げる藤井代表は、「自分が幸せでないと、悩んでいる人へ本当のアドバイスはできない。まず自分が幸せになることを考え、そして全ての人たちが仕事を通じて幸せになっていく好循環を生み出したい」との思いを膨らませる。

「世の中で一番楽しく立派なことは一生涯を貫く仕事を持つことです」「世の中で一番醜いことは他人の生活を羨むことです」「世の中で一番尊いことは人のために奉仕して決して恩に着せぬことです」(福沢諭吉『心訓七則』)……。
自他の尊厳を守りながら、何事も自分の判断と責任のもとに取り組んでいく『独立自尊』の精神を胸に刻みながら、藤井代表は自らの道を歩み続ける。

DATA

名 称:株式会社ACR
住 所:福岡市中央区渡辺通4-10-10 紙与天神ビル2F
設 立:1967年1月16日
代表者:代表取締役 藤井太一
事 業:人材紹介事業、人材派遣事業、就職支援、採用・教育コンサルティング、各種講演会、セミナー企画・運営
URLhttps://www.acr.gr.jp/

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