【人物図鑑】コロナ禍転じて、和菓子メーカーとしてのDX化・高収益化を為す
株式会社如水庵
代表取締役社長
森正俊
【もり・まさとし】
1976年2月13日生。福岡市博多区出身。福岡県立福岡高校卒~早稲田大学社会科学部卒。2000年4月、株式会社電通九州に入社、福岡本社、東京勤務を経て2016年12月、株式会社如水庵に取締役副本部長として入社。2020年4月、代表取締役社長に就任。高校、大学でラグビー部に所属して現在、出身クラブの草ヶ江ヤングラガーズクラブにおいて後進らの指導にあたる。
【3Points of Key Person】
◎ 社長就任直後からのコロナ禍にDX化やブランディング化などを推進
◎ オーナー家の三男、福高~早大でラグビー、電通九州を経て入社
◎ 福岡No.1の〝おもてなし企業〟の実現に向けて挑戦していく
社長就任1週間後に緊急事態宣言、コロナ禍で社内改革推進
銘菓『筑紫もち』で知られる株式会社如水庵は2020年4月1日、半世紀ぶりのトップ交代で森正俊社長の下、新たなスタートを切った。
1週間後の4月7日、新型コロナウイルス感染症に対する1回目の緊急事態宣言が発令。就任初月の売り上げが、対前年同月比で8割減という苦い船出となった。
「コロナ禍の3年間は大変だったものの、前倒しでできたことも多い。長期戦なので、耐え忍ぶのでなく、〝ピンチをチャンスに〟する成長機会にしたいと考えて取り組んだ」と森正俊社長は、就任してからの日々を振り返る。
森正俊社長は、雇用調整助成金や事業再構築補助金などの政府支援策も活用しながら、付加価値の向上を目標に掲げた7つのプロジェクトを立ち上げた。
代表例の一つが、DX化の推進だ。クラウドサービスの活用をはじめ、コミュニケーションツールに『LINE WORKS』を採用し、人事労務管理や原価計算にシステムを導入して省力化を図っている。
また、AIを用いた販売予測システム『EBILAB(エビラボ)』の導入で従来、難しかった日持ちしない商品の製造計画も可能にした。
その結果、仕入計画や生産農家への発注量も明確になり、廃棄ロスも減って利益率も大幅に向上した。
「DXとは、付加価値を生むものだ。お客さまに商品をどれだけ喜んでもらえるかが、大きなカギになる」との考えを森正俊社長は示す。
コロナ禍で土産菓子系は大打撃を被った半面、おうち時間の増加で自家消費向け菓子のニーズは高まった。消費ニーズの変化に対応した取り組みが、大福類のブランディング化である『おふく大福』プロジェクトだ。
「イチゴやブドウなどを用いたフルーツ大福では、果物と白あん、餅との黄金比を持っており、ブランド化を図っている」とする森正俊社長は、本店改装で職人の手包みによる出来立て大福を提供する『ミニ工房』を新設。さらに博多駅マイング2号店を『おふく大福』専門店に改装し、ららぽーと福岡にも新規出店した。なお、おふく大福の『おふく』は、博多人形のお福さんに由来するそうだ。
このほか、接客や菓子作りなどの人材育成にも努め、「バックヤードの効率化を図りながら、手間ひまを要するおもてなしの接客や職人による菓子づくりに力を入れて、全社的な付加価値を高めていきたい」と、森正俊社長は意欲を語る。
社長就任3年目となる前期2022年度決算は、コロナ禍前に比べて直営店は5店舗減の25店舗だったものの、収益体質の改善が進み、過去最高益を記録した。
今期2023年度は、前期を上回る業績で推移しているそうだ。
四人兄弟の三男で高校・大学でラグビーに打ち込む
如水庵は老舗企業であるものの、創業年は不明だ。
江戸末期の1845年(弘化2)に執り行われた聖福寺『開山650年遠忌』の菓子をつくった菓子木型が残っており、同時期には菓子業を営んでいた。
1949年(昭和24)、黒田家十四代の黒田長礼氏から黒田家紋の使用を認められ、家紋『藤巴』入りの屋根瓦を贈られた。
1951年(昭和26)、家紋入り瓦から型を起こした『もなか五十二萬石』を発売した。
1962年(昭和37)、屋号を従来の『森榮松堂』から『五十二萬石本舗』に変更し、株式会社に法人化した。
1989年(平成元)、株式会社五十二萬石本舗の完全子会社として株式会社如水庵を設立。製販分離で製造を株式会社五十二萬石本舗、販売を株式会社如水庵会社が担当した。
2017年(平成29)、株式会社如水庵が株式会社五十二萬石本舗を吸収。株式会社五十二萬石ホールディングスを新設し、傘下に株式会社如水庵会社と株式会社味蔵を置く持ち株会社制へ移行し、今日に至る。
「男4人兄弟は全員、子どもの頃からラグビーとピアノをやって来た」
長年、会社を引っ張ってきた父である森恍次郎会長の社長就任50周年を機にバトンを引き継いだ森正俊社長は、森恍次郎会長の三男にあたる。
音楽に目覚めた長男は演奏家を志して渡米して、アメリカで音楽家として活動する。
このため、後継者に目された次男は、早々に入社して社業に従事していた。
企業としての揺籃期であり、経営再建に奔走していた次男はオーバーワークとなる。
一方、三男だった森正俊社長は高校・大学でラグビーに打ち込み、好きな仕事として広告代理店を選んで就職した。
「仕事は面白く、楽しく成長できた」と、目を細める森正俊社長は、順調にキャリアを重ねていった。
そんな折、「一緒にやってほしい」との次男からの切実な声に森正俊社長は一大決心して、家業へ戻って来た。
入社後、取締役副本部長に就いて兄を支える。
その後、次男の健康問題もあって後継社長に就任し、次男は副会長に就いた。
「兄を支えるために入社したが、いまは兄に支えらえている」
森正俊社長は、神妙な表情をみせる。
福岡No.1の〝おもてなし企業〟へトライ
「お菓子は平和の文化、家庭の平和と世界の平和に貢献する」━━。
これは、森正俊社長が好きな自社の経営理念の一つだ。
祖父の森正美氏は先の大戦でインパール作戦に従軍して復員後、〝平和のためのお菓子づくり〟に打ち込んだ。
父・森恍次郎会長は幼少期、柳川・蒲池で母方の祖母が作ってくれた、黒砂糖をまぶしたきなこ餅が大好きだったそうだ。
これをヒントに3年掛かりで『筑紫もち』を商品開発した。
韓国には、筑紫もちと類似した伝統菓子『インジョルミ』があり、韓国人ブロガーが筑紫もちを紹介すると、大きな反響を呼んだ。
「なぜ、お菓子屋をやっているのか。お菓子づくりは、どれだけ喜んでもらえるか、幸せをどうやって届けていくのかが目的だ」と、森正俊社長は説く。
福岡市は、『福岡 観光・集客戦略2013』において「『世界No.1のおもてなし都市・福岡』の実現」を掲げた。
「私たちは、福岡No.1のおもてなし企業を目指している。実現できれば、イコール世界No.1になる」と、笑みを浮かべる森正俊社長は、社員らとスクラムを組んで目標に向かってトライし続ける。
DATA
名 称:株式会社如水庵
住 所:(本店)福岡市博多区博多駅前2−19−29
創 業:不明
代表者:代表取締役社長 森正俊
事 業:和洋菓子の製造・販売
URL:https://corp.josuian.jp/
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