【人物図鑑】朝倉の小さなフリーマガジンによる東京も巻き込んでの大いなる挑戦

『ASAKURA.NOTE』(アサクラノート)
編集責任者
山田謙一郎

【 やまだ・けんいちろう 】
1976年4月17日生、福岡県大野城市出身、福岡県立太宰府高校卒~福岡工業大学工学部卒。キャタピラー九州株式会社で営業マンとして勤務後に整体師の資格を取得。ボディケアマッサージ専門店『リラチョ』を立ち上げた後、2014年4月に福岡県朝倉市甘木で美容室『SEED hair design』をオープン。福岡美容専門学校福岡校(通信制)に学んで美容師資格を取得。2021年秋、仲間4人でフリーマガジン『アサクラリアル』を発行。その後、2022年4月に自費出版でフリーマガジン『ASAKURA.NOTE』(アサクラノート)を創刊。現在、地元印刷会社からの支援を受けながら、発行している。紙媒体での情報発信に加えて、イベントや映像、NFTなどでも地域コンテンツを発信していく。好きな音楽はJ-POP、好きな映画は北野映画。
【3Points of Key Person】
◎ 美容室を地域情報のハブにした、ローカルメディアのフリーマガジンを出版
◎ 営業マンから整体師となり、その後、美容師の免許を取得
◎ 東京・日本橋で朝倉関連の展示会を3週間開催して好評を博す
朝倉のフリーマガジンを地元TV局が特集番組で紹介

筑前の小京都・秋月、鵜飼いでも知られる原鶴温泉、二連・三連水車のある田園風景……。
福岡県の中央部に位置する朝倉市は2006年、甘木市、朝倉町、杷木町の1市2町による平成の大合併で誕生した、人口5万人弱の自治体だ。
『朝倉』という地名は飛鳥時代の661年、朝鮮半島・百済からの救援要請で出兵した際、当地に『橘廣庭』という仮宮殿を設けた斉明天皇の発した「朝(あさ)なお闇(くら)き」という言葉が、地名の由来になったといわれている。
「朝倉は自然豊かで歴史も古く、食はおいしい上に水もきれいだ。しかし、<何も無いまちだ><イケてない>という言葉を若い人たちからよく聞く。少し情報発信の表現方法を変えたらどうか?」
創刊の端緒について、『ASAKURA.NOTE』(アサクラノート)編集責任者の山田謙一郎さんは明かす。
朝倉地区で3,000部を発行する、創刊3年目のフリーマガジンはA5判・20~24頁の仕様ながら、その存在感は大きい。
伝統工芸の職人と老舗和菓子店とのコラボレーション商品の誕生をリアルにインタビューする一方、秋月のような古い城下町で映画祭立ち上げのプロモーションをした。
一連の取り組みについては、TVQ九州放送の『ぐっ!ジョブ』でも取り上げられて、大きな話題を呼んでいる。
現在、山田さんの本職は、意外にも美容師だ。
朝倉市内で美容室を経営して10年を迎える。
「実は、美容室というところは特殊な空間であり、地域のいろいろな情報が集まってくる。2~3時間もお客さんと1対1でコミュニケーションを取り、情報交換していくような場はめったにない。地域に関する情報の質では、美容室の方がGoogleよりも深く詳しく持っていると思う。これらの情報をうまくしていきたいとの思いを長年、抱いていた」
山田さんは、にこやかな表情で要諦を語る。
東京・日本橋でアサクラノートつながりの展示会

2024年6月、東京・日本橋。アサクラノートがセレクトしたお酒や器、お茶や雑貨、食品などのポップアップイベントが、3週間にわたって開催された。
会場となった5階建てビルの最上階にバー兼ラウンジがあり、毎週テーマを変えての交流会も開催して大盛況だった。
「なんとなくで始めたことが、いつの間にか、ここまで来ていたのかと思うと感慨深かった」と、山田さんは目を細める。
大学時代に工学部へ通っていた山田さんは新卒後、地元の建設機材販売会社に就職し、営業マンとして飛び回った。
その後<手に職を付けよう>と、整体師の資格を取得した後、福岡市内においてボディケアマッサージ専門店を立ち上げて5年間経営していたものの、閉店に至った。
その後、山田さんの夫人が美容師であり、小郡市で美容室を営んでいた中、近隣への大型ショッピングセンター出店時、美容室とマッサージ店を融合した新形態の店舗を提案した。
結果的に不採択になったものの、同じビジネスモデルで新形態店を朝倉市甘木でオープンさせる。
整体師だった山田さんは、同じ店舗内において美容師の仕事に興味を持つようになり、43歳の時に美容専門学校の通信制に入学した。
毎月、定休日の月曜日に開催されるスクーリングで席を並べる同級生は18、19歳の若者ばかりだった。
「今の若い人たちは本当にすごい。彼ら彼女らはみんなフレンドリーであり、コミュニケーション能力も高く、いつも前向き。僕ら世代の若い頃とは全く違う。うらやましく思う」と、相好を崩す山田さんは、「学校や年代を超えてつながりを広げていく自分の息子たちの行動力や発想力にもいつも尊敬させられ、時々憧れを持つことがある」と、若者たちの可能性について率直に述べる。
これまでの人生における転機として、山田さんは甘木での美容室出店を挙げる。
一方、山田さんにとっての〝教訓となる失敗〟については、「以前、経営していたマッサージ店を潰したことだ。経営ってすごく難しいことで、その後数年間は借金返済で大変だった。美容室もフリーマガジンの事業も潰さないこと、続けることを第一に心掛けており、何事もマネタイズした上でアクセルとブレーキを踏むバランスが大事だと学んだ」。
その言葉には、独特の重みと含蓄が感じられる。
「メディアが担う役割の一つは、関係人口づくりだ」

「アサクラノートからの挑戦」━━。
創刊3年目を迎えて発行した第6号の表紙において特集タイトルとして打ち出す。
従来、山田さんが一気通貫でやってきた誌面づくりについても従来のイラストレーターに加えて、朝倉出身で東京在住のカメラマンや東京芸術大学でデザインを専攻する学生らが参画したチーム制へと進化させ、媒体自身にとっても一つの挑戦である。
これまで不定期だった発行回数についても春夏秋冬での年4回刊行を目指す。
一方、東京において地元・朝倉の産品を情報発信していく展示会および交流会も継続的に定期開催をしていく計画だ。
「アサクラノートが担う役割の一つは関係人口づくりだと考えており、今後もいろいろなことを仕掛けていきたい」と、目を輝かせる山田さんにとって、都会から朝倉への建築家や陶芸家らクリエーターの移住は、嬉しい知らせだ。
福岡・朝倉で出版するフリーマガジンは東京・日本橋も情報発信の拠点にしていきながら、新たな一歩を踏み出そうとしている。
DATA
名 称:アサクラノート
住 所:福岡県朝倉市甘木1185−1
設 立:2014年4月1日
代表者:『ASAKURA.NOTE』編集責任者 山田謙一郎
事 業:サービス業
URL:https://asknote2023.studio.site
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