【人物図鑑】〝最強最優〟を目指し、『日本でいちばん大切にしたい会社』が走り続ける

株式会社柳川合同
代表取締役社長
荒巻哲也

あらまき・てつや】
1967年1月13日生。福岡県柳川市出身。福岡県立伝習館高校卒~山口大学経済学部卒。経営者である父の背中を見て育ち、中学時代からアルバイトとして会社の仕事を手伝う。大学卒業後、株式会社柳川合同運送(現株式会社柳川合同)に入社。2002年4月、株式会社柳川合同に社名変更して、代表取締役社長に就任。〝最強最優の会社〟を標ぼうする。2020年9月から漬物製造・販売を手掛ける株式会社オニマルの代表取締役社長も兼務する。趣味は山登り、ゴルフ。

【3Points of Key Person】

1954年創業のトラック運送会社で家具混載や家電共配で強みを発揮
◎ 経営危機での教訓が『日本でいちばん大切にしたい会社』へ導く
◎ 創業70周年を迎え、運送を核にした新たな構想の実現に向けて動き出す

『日本でいちばん大切にしたい会社』大賞を受賞

【画像】荒巻哲也

〝人を幸せにする経営〟をしている企業を表彰していく『日本でいちばん大切にしたい会社』大賞━━。
トラック運送業を手掛ける株式会社柳川合同は2022年3月、第12回『日本でいちばん大切にしたい会社』大賞で審査委員会特別賞を受賞した。
「書籍『日本でいちばん大切にしたい会社』はよく知っており、受賞式に出席するまでは自分自身で≪なかなかやっている≫と思っていた。しかし、実際に受賞式で出てみて、≪自分はまだまだ≫と実感し、≪恥ずかしい≫とさえ感じた」ことを株式会社柳川合同の荒巻哲也代表取締役社長は率直に語る。

「〝最強最優〟の会社を目指す」とする荒巻社長は、「会社は人間力を高める教育の場であり、創立100周年の2054年に物流業界で〝最強〟の会社になり、社員は〝最優〟と呼ばれるべき人になる」とのビジョンを打ち出す。
そして、社内でのコミュニケーションづくりや社員の健康管理に意欲的に取り組んできた。

「みんな仲良くしていかないといけない。寝食を共にすることが大切であり、昼食はみんなで一緒に食べよう」との荒巻社長の発意で2010年から社内で『カレーの日』を始めた。
毎月の『カレーの日』には、社内で手作りしたカレー100食分を社員や取引先に振舞っている。
文字通り〝同じ釜の飯を食う〟取り組みは2018年3月20日、NHKの食バラエティー番組『サラメシ』でも取り上げられて話題を呼んだ。

一方、毎週月曜日は『お弁当の日』として、全社員向けに弁当を無償で支給している。
さらに社員が一堂に会する社員総会の開催後には、『全社員での食事会』も開く。
そして、社員の家族向けに会社見学会や社内マラソン大会なども企画・運営する。

物流業界での〝最強〟を目指す同社では、後発組で参入した家具輸送において、九州~関西~関東を自社トラックによる〝一気通貫〟の運送体制を構築し、混載による効率化を実現している。
さらに大手家電メーカーからの支持をきっかけにスタートさせた家電の共同配送に強みを発揮しながら、独自の路線を掛け抜けていく。

社長就任で自社再建、取引先倒産での経営危機で開眼

【画像】荒巻哲也

柳川市をはじめ福岡県下では、トラックの車体に『テッコン君』と呼ばれる、オリジナルキャラクターを描いた柳川合同のトラックを見掛けることも多い。
「会社のイメージキャラクターとして動物をモデルに作ろうとしたところ、高額だったため、絵の上手な社員が描いた私の似顔絵が〝会社の顔〟として、企業のオリジナルキャラクターに採用された」と、荒巻社長は苦笑いする。
因みに『テッコン君』とは、小学校時代のニックネームだそうだ。

女優のマリリン・モンローが、大リーガーのジョー・ディマジオとの新婚旅行で福岡市を訪れた1954年に4人のメンバーで設立した柳川合同運送が、同社のルーツだ。
1973年、創業メンバーの一人である父の荒巻稔氏が代表取締役に就いた。
「生まれた頃から仕事と家が一緒であり、トラックは身近な存在だった。学生時代からトラックを運転しており、今でもトラックが好きだ」と目を細める荒巻社長は、中学時代からアルバイトとして会社に出入りしていた。大学卒業時、父から「人が足りない」「長距離トラックに乗ってくれ」とのことで会社に入社した。

父の後を継いで社長に就任したのは2002年、35歳の時だった。
「当時は、バブル崩壊で傷ついたままであり、会社も赤字経営続きで綱渡り状態だった。おそらく、若かったからできたのだと思う」と振り返る荒巻社長は、持ち前のリーダーシップとトップセールスで自社の再建に走り回った。
自社の経営再建にめどをつけた2006年3月、売上高の約1/3を占めていた、漬物製造・販売の株式会社オニマルが民事再生法を申請して負債総額26億円で倒産した。
当時、オニマルの漬物製造も請け負っていた柳川合同の荒巻社長は、担当するパート従業員80人を解雇するという苦渋の決断を下した。

一気に経営危機に直面した逆境下、社内のドライバーが労働組合を結成して団体交渉の場で荒巻社長は矢面に立たされる。
なぜ、≪こんな大変な時に……≫と思うと同時に今まで自分が頑張ってきたことを否定された感もあった」「当時、ドライバーらの顔つきが変わっており、団体交渉を通じて、≪俺が俺がって≫と気負って、≪会社の数字しか見ていない≫自分自身に気づいて、大いに反省した」ことを荒巻社長は明かす。
そして、ドライバーらをはじめ社員・従業員を尊重した企業経営へハンドルを切っていく。

「社員がニコニコしてゆとりを持って仕事をしている会社ほど、利益が出るのに対して、社員がバタバタして忙しい会社ほど利益が出ないのは不思議だ」と、にこやかな表情をみせる荒巻社長は、「やってみてわかることは、人の心の大切さであり、人の心は変わっていく」ということを胸に刻む。
コロナ禍で再度訪れたオニマルの経営危機では、代表取締役に就任して火中の栗を拾う。
そして、人心把握に努めて整理・整頓・清掃から徹底した結果、経営再建の道筋を付けた。

創業70周年、新たな構想へのアクセルを踏み込む

【画像】荒巻哲也

「だっでん良うなからんとでけん(誰もが良くならないといけない)」「でんかなる(どうにかなる)という柳川弁を口癖にする荒巻社長は、社長就任時に50台だったトラックを250台まで増やしてきた。

今年2024年、創業70周年を迎える中、荒巻社長は、「これまで多店舗展開を中心にやってきたが、これからは運送を核にした楽市楽座や門前町のようなまちづくりにも挑戦していきたい」「みんながニコニコしながら、いろいろな店舗を構えて、みんながそれぞれに食べていけるようにしていこうと思う」と、今後の構想を思い描く。

『テッコン君』こと、荒巻社長は、いま新たな〝目的地〟に向かって、アクセルを踏み込む。

DATA

名 称:株式会社柳川合同
住 所:福岡県柳川市西浜武475-2
設 立:1954年4月
代表者:代表取締役社長 荒巻哲也
事 業:一般貨物自動車運送事業、倉庫業、産業廃棄物収集運業
URLhttps://ygu.co.jp

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