【人物図鑑】ホテル開業時に新卒1期生として入社、共に歩んでホテルマン人生45年

【画像】株式会社ニューオータニ九州 代表取締役社長 山本圭介

株式会社ニューオータニ九州
代表取締役社長
山本圭介

株式会社ニューオータニ九州
代表取締役社長
山本圭介

【やまもと・けいすけ】
福岡市中央区出身、1954年9月28日生、福岡県立福岡中央高校卒~福岡大学工学部工業化学科卒。1978年株式会社ホテルニューオータニ博多(現株式会社ニューオータニ九州)に第1期生として入社。宿泊部支配人、人事・総務部長、取締役総支配人を経て、2003年同社初の“生え抜き”社長兼総支配人に就任。趣味はウォーキング、将棋、城郭巡り。

【3Points of Key Person】

1978年開業のニューオータニ博多は今年45周年、山本社長も社歴45年
◎ 工学部出身の理系ながら、ホテル業界に憧れて青雲の志で飛び込む
◎ 生粋のホテルマンがあり、天職に生きる

2023年は開業45周年・ホテルマン人生45周年の節目

【画像】株式会社ニューオータニ九州 代表取締役社長 山本圭介

いま、日本社会は、ポストコロナ時代に向けて大きく舵を切り始めた。コロナ禍によって大打撃を被ったホテル・旅館業界も回復基調を示している。

2022年3月末時点における日本のホテル・旅館の総数は、5万523施設だった(厚生労働省『令和3年度衛生行政報告例の概況』)。
中でも福岡市のホテル・旅館の施設数は、急増している。『福岡市の観光・MICE2022年版』によると、2021年12月末で549施設だった。この数字は、2016年比で2.79倍という伸びを示している。

「コロナ禍においてもお客さまからご愛顧いただき、そしてお客さまに支えていただいたことに心から感謝している」
株式会社ニューオータニ九州の山本圭介社長は謙虚に語る。
そして、山本社長は、「根底にあったのは、ブランドへの信頼感だったと思う。今後、さらにブランド力に磨きを掛けていくことを通じて、お客さまからさらに愛され、選ばれるホテルを目指して日々、進化と変革に取り組んでいきたい」と決意を新たにする。

福岡市中心部を南北に走る渡辺通りの南端における、福岡市の市街地再開発事業での第1号として、サンセルコと共に誕生したのがホテルニューオータニ博多だ。
今年、開業45周年を迎えるホテルニューオータニ博多の第1期生として入社した山本社長自身もホテルマン人生45周年という節目の年となる。
「400室の客室には、400通りの人生を凝縮したドラマがある」と、山本社長は語る。そして、「一人一人が、感動をつくるプロデューサーだ」「ホテル内での感動のシーンをそれぞれが、バトンリレーでつないでいっている。これこそが『感動のバトンリレー』である。一つでもバトンを落とせば100-1=99でなく100-1=0になる」との持論を説く。

ホテル業界へ導いた喫茶店バイト、〝後の有名人〟店長

「あっという間の45年間だった」と振り返る山本社長は1978年4月、第1期生として同期200人と共に入社式に臨んだ。
建物自体は建設中というなか、地元テレビ局が取材に駆け付けた。
インタビューで将来の目標を尋ねられた山本社長は、「総支配人」と答えて同期らと東京の研修先へ移動した。
すると、夕方のテレビ番組を見て驚いた福岡の母親が急きょ、東京の息子へ電話してくるという一幕もあった。

大学時代、工学部に在籍していた山本社長が、ホテル業界を目指した経緯について、「貧乏学生で奨学金を貰っていたが足りず、アルバイトに明け暮れたことが転機になった」ことを明かす。
有名割烹料理店でのアルバイトに加え、中洲の喫茶店でもウェーターとして働き始めた。
勤務先の森田店長は、料理を得意としていたものの、風変わりな人物だった。
喫茶店は、近くにあるホテルの支配人らの行きつけでもあった。
彼らの立ち振る舞いに憧れた山本社長は、ホテル業界を志していく。
一方、森田店長は喫茶店を辞め、上京して「タモリ」という芸名でデビューした。

1978年9月1日、ホテルニューオータニ博多は当時、福岡市内最大規模の国際級ホテルとしてオープンした。
青雲の志でホテル業界に飛び込んだ山本社長は、本店仕込みのウェーター技術を披露しようとした矢先に福岡大渇水が襲った。
そして、本来のグラスや白亜の皿などを使っての給仕は紙コップと紙皿になり、「いま思えば、大変な難産だったと思う」と、山本社長は当時を振り返る。

ドアマン、ベル係、フロント、コンシェルジュ、ルームサービス、宴会スタッフ……。ホテルには多彩な職種がある中、調理と経理以外のすべての職種を経験したという山本社長は2003年6月、初の〝生え抜き〟社長兼総支配人に就任した。
社長就任の翌々年に発生したのが福岡県西方沖地震だった。
ニューヨーク大停電でのウォルドルフ・アストリアホテルの対応に学んだ山本社長は、宿泊客の避難誘導だけでなく、近隣住民らにもホテルロビーを開放して、不安の解消に努めた。
ホテルという性格上、国家元首らが訪れることも多い。そうした中、山本社長は、特に感慨深いおもてなしとして天皇・皇后両陛下のご宿泊に際しての接遇を挙げる。
2006年10月の全国豊かな海づくり大会にご臨席された天皇・皇后両陛下はホテルニューオータニ佐賀にご宿泊された。
2017年10月、九州北部豪雨の被災地への訪問などに際しては、ホテルニューオータニ博多にお泊りになられた。

一方、教訓となった失敗は、若手社員時代に担当した某メーカーの新商品発表会だった。
確認不足から宿泊した室内に競合他社商品があり、さらに手配ミスから夜中に部屋の移動をお願いした。
そして、肝心の発表会では、隣会場から太鼓の音が鳴り響き、大失敗に終わった。
冷や汗を流しながら、対応に奮闘する山本社長の姿をみたメーカー販社の社長から掛けられた「失敗したが、失敗は成功の素だから、頑張れ」という言葉が、その後の大きな励みになったそうだ。
そして、山本社長は入社式において、「下積み無くして成長なし」「失敗は宝の山だ。失敗を恐れずに果敢に挑戦してほしい。みなさんの失敗は、すべて引き受ける」ことを宣言する。

「生まれ変わっても、またホテルマンになりたい」

45年に及ぶホテルマン人生のうち、社長兼総支配人を20年間務めてきた山本社長は、「今後、経営に専念していくために経営と運営を分離して4月1日付で新たに総支配人を選任した」と、将来への布石を打つ。

「お客さまが満足されることを自分自身の幸せだと考えており、ホテルそのものが、心から好きだと思う」と、山本社長の表情から笑みがこぼれる。
「生まれ変わってきても、またホテルで働きたい」と、生粋のホテルマンは言い切る。

DATA

名 称:株式会社ニューオータニ九州
住 所:〒810-0004 福岡市中央区渡辺通1-1-2
設 立:1976年9月(開業:1978年9月)
代表者:代表取締役社長 山本圭介
事 業:ホテル業
URLhttps://www.kys-newotani.co.jp/hakata/

Follow me!