【人物図鑑】都会と一線を画す、田舎での〝豊かな〟まちおこしを発明家的思考で実現

津屋崎ブランチLLP
代表  
山口覚


津屋崎ブランチ LLP代表  
山口覚

【やまぐち・さとる】
北九州市出身、1969年2月13日生、九州芸術工科大学(現九州大学芸術工学部)環境設計学科卒。1993年鹿島建設に入社、ランドスケープデザイン部勤務などを経て、国土交通省所管の財団法人国土技術研究センターに出向。2002年鹿島建設を退職。NPO法人地域交流センターを経て、2009年福岡県福津市・津屋崎へ移住。同年まちおこしプロジェクトの拠点として『津屋崎ブランチ』を開設。本物の暮らし・働き方・つながりを実現するまちおこしプロジェクトを推進して、地域住民と移住者らで懐かしくも新しい地域社会の創生を目指す。まちづくりファシリテーター、1級建築士、LOCAL&DESIGN株式会社代表取締役。慶應義塾大学政策・メディア研究科特任教授

【3Point of Key Person】

◎津屋崎で古民家再生、移住支援、起業支援に取り組む
◎対話を通じて地域の《間》を生かした事業を創出する
◎発明家的思考で自立した自己決定できるまちをつくる


時間、空間、仲間、世間……。田舎は《間》に恵まれた地域

福岡市と北九州市のほぼ中間に位置する福津市・津屋崎――。玄界灘に面した自然豊かな海岸をもつ津屋崎は、かつて塩田と交易で栄え、いまウミガメの生息地としても知られる。
近年、都会からの移住者も増えた津屋崎は、ユニークなヒトたちが集まって来て、面白いコトが起きているまちとして注目を集める。

「時間、空間、仲間。適度な田舎には、都会に無い適度な《間》がある。競争社会の都会で暮らす人たちはで仕事のために生きており、地域と自分自身が疲弊している。一方、競争から離れたところに位置する田舎は、もともと人が少ないこともあって、一人ひとりの存在自体で価値がある」

津屋崎において、古民家再生をはじめ、移住支援、起業支援、そして対話に取り組んでいる津屋崎ブランチの山口覚代表は、いきいきとした表情で語る。

《間》に恵まれた地域で山口代表が基本とするのは〝対話〟だ。多様な人々が暮らす土地において、互いの価値観を認め合って協力していく上での対話の重要性を熟知する。
その上で「教育と福祉、医療と農業、高齢者と子どもなど、分野の異なる人たちをつなぐ、価値観が違うもの同士をつなぐことで新たな価値が生まれる」と考える山口代表は、自らの役割を〝つなぎ手〟に例える。

現在、津屋崎ブランチは山口代表と経理担当者だけの体制だが、「具体的な事業はプロジェクト単位で新たにユニットを組んでおり、なるべく若手をリーダーに起用している。かつてのスタッフ3人も津屋崎で起業しており、研修に来た学生や社会人も数多く創業し、津屋崎での起業支援として移住者や地元の人たち向けに開催する『プチ起業塾』からも30人以上の起業家が誕生した」と、笑顔をみせる山口代表は都会と異なる、新しい生業のつくり方を考えて伝えている。

ゼネコンの1級建築士はなぜ田舎でまちおこしを始めたのか

「日々の取り組みの中で大切にしていることは、自分のやり方や考え方を相手に押し付けを押し付けない、価値観の違いを対話で乗り越えていく、何事も失敗でなく成功だと前向きに考えている」とする山口代表の人生を変えるような出来事は3つあった。

人生最初の転換点は、小学校6年生のときに訪れた。北九州生まれの山口代表は転勤族だった父に連れられて小学校時代を東京で過ごした。
6年生の秋に父の転勤で北九州へ戻ってみると、やんちゃ坊主だった山口少年は「いままで東京にいた自分にとって、まったく違う北九州の価値観が存在することに驚いた。そして、世の中には、まったく違う世界が同時に存在という事実に衝撃を受けた」。

その後、再度父の東京転勤で高校卒業後に東京での宅浪生活を送ってみると、社会の歯車から外れて世間との《間》が空いた状況下、時《間》も生まれた結果、《なぜ大学へ進学するのか》《本当は何をしたいのか》という根本的なことを問い続けた。
この経験が2つ目の転換点となって、ソニーの世界観にあこがれて当時、日本で唯一の音響設計学科を持つ九州芸術工科大学を目指した。成績の関係上、当初の音響設計学から環境設計学へ進路変更した結果、建築の世界へ進むことになった。

個性的な学生の多いキャンパス生活で留年を経験してみると、不器用ながらも自分がやりたいことにめり込んだ結果としての留年を受け入れる生き生きとした仲間の姿に接して、価値観が揺さぶられたことが、3つ目の転換点だった。

新卒で入社した鹿島建設では、ランドスケープや大規模開発などを担当した。その後、国土交通省所管の『財団法人国土技術研究センター』に出向した山口代表は、「過疎地域の住宅調査で都市と地方との格差に大きなショックを受けた」

入社10年を節目に鹿島建設を退職した山口代表は、産官学民の交流・連携で地域づくりに取り組む『地域交流センター』に転じた。
そして、仕事として津屋崎に東京から3年間通い、福岡へのUターン就職後も2年間通い続けた。
2009年、津屋崎でのまちおこし事業が行政に採択された。これを機に当時、鉄路の廃線や大型施設の撤退などで厳しい状況に置かれていた津屋崎への移住を決断した。  
移住後、まちおこしの拠点として立ち上げた『津屋崎ブランチ』のスタッフは全国から公募して、まちづくりの知識や経験もない20・30代のユニークな若者3人を採用した。
経歴も考え方も全く異なる彼らと山口代表は、「日々、対話を重ねていく中で、何に取り組んでいくのかについて考える」ことから始めた。

まちおこしとエジソンの不思議な縁、発明家的思考とは何か

I have not failed. I’ve just found 10,000 ways that won’t work. (私は失敗をしたことはない。ただ10000通りのうまくいかない事例を見つけただけだ)。
この言葉を残したエジソンをはじめとする発明家の思考手法を踏襲する山口代表は、「人々の潜在的欲求を見出して、実現可能性の高い道筋をいろいろ考えて、他者も巻き込みながら仲間をつくって実現していく」というスタイルを採る。

津屋崎において実践している対話をベースにして、各自のやりたいことを実現していく津屋崎スタイルの確立していく上において、尊敬する発明家の藤村靖之氏からの《まちづくりの発明家になれ!》という言葉も山口代表の背中を押した。

「幸福学に詳しい前野隆司慶応義塾大学教授によると、自己決定した方が他者による決定事項に従うよりも幸福感は大きい。このため、自立して自己決定をできる地域が増えていくと、ハッピーな世の中になる」とみる山口代表は、自立した経済圏同士の相互交流や情報交換を通じて、世の中に広げていく構想も持つ。

「桃李もの言わざれども下自ら蹊を成す」(『史記』李将軍伝賛)を座右の銘とする山口代表は、「津屋崎でやっていることに興味があれば、津屋崎へお越しいただいて、いろいろな対話をしたい」と、津屋崎の地においてもてなす。

DATA

名 称:津屋崎ブランチLLP
住 所:福岡県福津市津屋崎4-1-17
設 立:2009年8月
代表者:代表 山口覚
事  業:古民家再生、移住支援、起業支援、対話
URL:http://1000gen.com/

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