【人物図鑑】名物番組を手掛けたTV局OBが、九州の観光振興・地域活性化に汗を流す理由とは

九州観光推進機構 九州観光広報センター
副センター長
若林宗男

【画像】九州観光推進機構 九州観光広報センター
副センター長  
若林宗男
九州観光推進機構 九州観光広報センター
副センター長
若林宗男

【わかばやし・むねお】
富山県出身、1952年4月28日生、国際基督教大学教養学部卒。1975年テレビ東京に入社、ニューヨーク支社を開き特派員兼支社長を務めた後、経済番組『ワールドビジネスサテライト』を立ち上げる。ブルームバーグ、ジュピターテレコムなどを経て、2011年に福岡市に移住し若林ビジネスサポートを創業。現在、九州観光推進機構アドバイザー、事業構想大学院大学客員教授、九州大学大学院農学研究院非常勤講師、一社福岡デザインアクション(FUDA)、一社九州通訳・翻訳者・ガイド協会、一社九州の食、一社ふるさと創成の会などの理事を務め、2020年4月から内閣府の地域活性化伝道師として活動している。著書に『遊撃する中小企業 福岡佐賀長崎 注目の企業15社 第2弾』(九州北部信用金庫協会編、梓書院)がある。趣味は山歩き、スキー、水と酒。

3Point of Key Person

◎ 産学官での『九州観光広報センター』を提案して立ち上げる
◎『ワールドビジネスサテライト』の生みの親で初代キャスター
◎『九州独立』に向けて、観光を九州の基幹産業にしていく

豊富なメディア経験や海外経験のよそ者が、強みとなった

テレビ東京の看板番組『ワールドビジネスサテライト』を立ち上げた人物が、いま九州で観光振興や地域活性化に汗を流す。

一般社団法人九州観光推進機構で広報・マーケティング・戦略構築を手掛ける九州観光広報センター副センター長の若林宗男・若林ビジネスサポート代表は、「九州の地域社会や中小企業を元気にしたいと思う。豊富なメディア経験や海外での経験を活かして、観光や食を中心に、地域おこしや情報発信などの活動をしている」と意欲的だ。

「知られていないことは、存在しないことと等しい」と言い切る若林副センター長は長年、映像を中心としたメディア業界に身を置いてきた。そのキャリアを活かして、「地域や商品の魅力や特徴について、第三者的な視点でPR上の切り口やテーマを押さえ、メディアが取り上げたくなるポイントを理解してアピールしていく」点が強みだ。知られるためには、読みやすく聴きやすい言葉が大事だという。

通常は、行政からの観光振興・地域振興や中小企業などからの商品・サービスの広報支援やPR代行を手掛けることが多いが、先日手掛けた自主映画制作に向けたクラウドファンディングのPRでは、大手新聞社の紙面を飾り、地元テレビ局の情報番組でも紹介された結果、わずか1週間で目標額を突破した。
また、2020年6月に福岡県八女市で開業した古民家改の『NIPPONIA HOTEL 八女福島商家町』や八女市での貸しEVの導入を支援した。

「九州にとって、私はいわば〝よそ者〟。だからこそ、九州の人がドッキリするような非常識な視点があると思う。つまり、いままでの九州の常識にとらわれていない点が強みになっている」とする若林副センター長の海外経験は、3年間のニューヨーク駐在に加え、2カ月以上滞在した海外の都市はロンドン、北京、ソウル、リオデジャネイロなど4都市。訪れた国は40か国以上におよぶ。
ゲストハウスやB&Bから五つ星ホテルまで、五大陸の全てに滞在した海外経験をもとに若林副センター長がいま思い描くのは、九州におけるプレミアム市場の創出だ。
九州のプレミアム市場化に際しては、世界的な美食の聖地として知られるスペイン北部のサン・セバスチャンをイメージしているという。

産学官連携会議での提案で誕生した『九州観光広報センター』

長崎県西海市の展望台に作られたスマートフォン用の自撮り台

若林副センター長にとってメディア業界の振り出しは、テレビ局だった。テレビ東京初の海外支局となったニューヨーク支局を開設し初代支社長兼特派員として礎を築いた。

そして、新たな経済番組『ワールドビジネスサテライト』の立ち上げでは、企画書作成から手掛け、番組発足時の初代ニュースキャスター兼企画プロデューサーを務めた。

その後、テレビ東京初のインターネットサイトを予算ゼロで立ち上げ、日本初の双方向データ放送もスタートさせた。テレビ東京退職後も株式会社シーエスナウ代表取締役社長や株式会社ニューポートCOO、J:COM放送制作部長などを歴任してきた。

そんな若林副センター長が、縁もゆかりもなかった九州に移り住んだのはなぜか。

「海外赴任はあったものの都合40年以上も東京で暮らしている間に東京一極集中が起きた結果、地方が衰退していく姿を目にしてきた」というタイミングで九州大学から客員教授として招聘された。
2004年から3年間、定期的に東京から来福するなかで九州の魅力や地域性に触れる機会を多く持った。

2011年に九州移住を決断して、地域社会と中小企業をサポートする若林ビジネスサポートを独立・創業した。
九州へ移り住んで活動を始めた当初は地縁も血縁もなく、「まず自分を知ってもらう努力はしたものの、ニューヨークに赴任した時に比べれば楽に順応でき、特に大変だったことは無かった」と振り返る。

2012年に〝九州の食〟の魅力を国内外にアピールしていく一般社団法人九州の食の設立準備委員会の副会長に就任したことが大きな転機となって、人的ネットワークが拡大し、ビジネスの幅も広がった。

2015年には、佐賀県唐津市を会場に30年後の九州をテーマに産学官で議論する『九州未来会議』のパネルデスカッションにおいて、観光地としての九州のブランド力向上を目指すために国内外への情報発信を担当する専門機関の設立を提言した。
その結果、九州観光推進機構の中に九州観光広報センターが発足した。

九州観光広報センターが誕生する前年の2015年に283万人だった九州を訪れる外国人観光客は、2018年には511万人に拡大した。
若林副センター長は、「もはや九州から逃げられなくなったので、骨を埋める覚悟で取り組んでいる」と目を細める。

若林副センター長は仕事柄、九州観光推進機構をはじめ、九州の中小企業や自治体、商工会議所・商工会などからの依頼が多く、「まずヒトに会うことが大事。講演やセミナーの講師として登壇したことが、仕事上の出会いになることも多い」「提案がカタチになるのが嬉しいし、相手が笑顔になるともっとうれしい」という。

長崎県西海市の展望台に作られたスマートフォン用の自撮り台は、若林副センター長の講演での提案から生まれた。
講演を聴いた市の職員が手その気になり、1ヶ月で完成した。

もっとも、依頼元からの期待があまりにも過大だった結果、相手の要求水準に十分に応えられなかったケースもあるという。
現状把握や原因分析などを通じて自らの教訓としていくことで手痛い失敗を回避するという慎重な面も持っている。

「常識を疑え」「暗い常識よりも明るい非常識」……

「これからのチャレンジは九州独立」と若林副センター長は今後の構想を練る。背景には東京一極集中の結果としての地方衰退という現実がある。

九州独立に向けた経済的自立への取り組みの一つとして、観光を九州の基幹産業にしていくことを考える若林副センター長は、「九州独立とは、九州で生み出した富で九州の未來を創り出していく取り組みであり、精神的な自立にもつながる」とする。

実現に向けた課題として、人々の意識に注目する若林副センター長は、「九州の価値の見直しと再評価が重要であり、多面的に取り組んでいきたい」と意気軒高だ。

 「常識を疑え」「美味しいものに旅をさせるな」「暗い常識よりも明るい非常識」「できないと思うコトの中に成功のカギがある」と説きながら九州を東奔西走する。

DATA

名 称:若林ビジネスサポート
住 所:福岡市中央区平尾浄水町
創 業:2011年10月
代表者:代表 若林宗男
事 業:広報支援、PR代行、商品企画開発、6次産業化支援、セミナー・講師業、イベントプロデュース業、広告代理業
URL:http://wbs-247.com/

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