【人物図鑑】海外との貿易や不動産取引を通じて〝虹の架け橋〟を目指す

オーシャン・レインボウ株式会社 創業者
興旺株式会社 宅地建物取引士
小松玲子

オーシャン・レインボウ株式会社
代表取締役
小松玲子

【こまつ・れいこ】
1974年1月5日生。中国・大連出身。中国の大学を卒業後、銀行に勤務。1999年に来日して結婚し、帰化する。2003年に離婚し、シングルマザーとなる。第一生命保険株式会社に入社、九州地区での法人営業で入社3年未満の新人部門で営業成績での第1位を獲得。その後、貿易会社に転職し、2013年に特殊コンテナの輸入業で起業。2015年10月、オーシャン・レインボウ株式会社を設立して代表取締役に就任。2026年2月、不動産業を営む興旺株式会社に入社し、同社の専任の宅地建物取引士となって〝複業〟を始める。趣味は料理、カラオケ、ゴルフ。オープン。趣味は料理、カラオケ、ゴルフ。

【3Points of Key Person】

トランクルーム用コンテナの輸入とともに海外向け不動産取引を〝複業〟

◎ 中国・大連出身、来日して結婚・帰化しシングルマザーとなって奮闘

◎ ワインバーを経営した経験を生かして、ワイン会を不定期開催

海外向け不動産取引と貿易の〝複業〟という二足のわらじ

オーシャン・レインボウ株式会社 創業者 小松玲子

「平日9時~18時は、不動産会社で専任の宅地建物取引士として働き、就業後や週末に自分の会社の仕事を〝複業〟している」
貿易業や旅行業などを手掛けるオーシャン・レインボウ株式会社の創業者である小松玲子さんは2026年2月、不動産売買・仲介業の興旺株式会社(福岡市・博多駅前)に専任の宅地建物取引士として入社して〝複業〟を始めた。

小松さんは、ワイン好きが高じて以前、福岡市・祇園でワインバー『Briller(ブリエ)』を経営していた。知人からの依頼で昼間、不動産取引の通訳をする。
そして、不動産取引に興味を抱いて宅建試験に挑んだ小松さんは、2回目の受験で合格した。
資格取得後、知り合いから「専任の宅地建物取引士を探している会社がある」という話を契機に興旺株式会社へ入社した。

「ちょうど、宅建資格を持ち、中国語が分かる人を探していたという縁があり、タイミング的にも良かったと思う」と語る小松さんは、複業ライフを始めた。
同社では、オフィスビルやアパート・マンションなどの収益物件について、購入を希望する中国人やシンガポール人、台湾人らに対しての売買や仲介することが多いそうだ。

中国・大連出身、生保法人営業で九州1位、コンテナ輸入で起業

【画像】小松玲子

「人生は出会い。私自身の人生も出会いで大きく変わった」と説く小松さんは中国・大連出身の中国人だった。
日本人男性と出会い、結婚・帰化した経験を持つ。

子どもの頃、隣家に仲良しだった女友だちが日本人だった祖母らと住んでいた。
彼女らを介し、日本の製品やカルチャー、ファッションに興味を抱いた小松さんにとって、いつしか日本は《憧れの国》となる。

中国の大学を卒業した小松さんは最初、銀行で働き始めた。
当時、銀行員は公務員と同格にみなされ、人々にとって憧れの職業だった。
事実、小松さんは銀行員時代、両親へマンションを贈るという親孝行もできた。

入行3年目、日本での金融機関研修を受ける機会を得た小松さんは、憧れの地に降り立った。
そして、研修中に一人の日本人男性と出会う。
帰国後、小松さんの元に毎週、日本語で書かれたエアメールが届くようになった。
当時、日本語を読めなかった小松さんは、日本語のできる友人に翻訳をしてもらった。
しかし、毎週の翻訳作業に友人が根を上げると、小松さんは独学で日本語を学び始めた。

銀行員としての生活自体は安定していたものの、「若かったこともあり、物足りず、親に内緒で銀行を辞めた」
後日、退職の事実を知った母親は激怒したそうだ。
その後、日本へ渡った小松さんは、遠距離恋愛だった日本人男性と華燭の点を挙げた。
一児を授かったものの、いろいろあってうつ状態となり、離婚に至った。

当時3歳だった娘を引き取ってシングルマザーになった小松さんは、生活のためにレストランでの皿洗いの仕事を始めた。
程なく困窮して、加入していた生命保険の契約内容の見直しで生命会社に電話した。
電話口に出たのは営業所の女性責任者で、偶然にも彼女と同じ誕生日だった。
小松さんの事情を知った彼女は、保険会社への入社を熱心に薦めた。

熱意に押された形で3カ月間の研修を受けたものの、いざ営業を始める段階になると、不安に押しつぶされそうになった。
研修最終日の夜、営業所の女性責任者と自分の娘と3人で食事をした小松さんは、「覚悟を決めて≪頑張ってみよう≫と思うと、周りの風景が違って見えてきた」。

もともと中国出身で親戚や同級生らがいない中、小松さんは経営者の集まる会合に積極的に飛び込んだ。
すると、出会いが新たな出会いを生み、生命会社の九州地区法人営業で新人営業職部門でのトップ成績を上げた。
表彰式で壇上にも上がった小松さんは、「当時は目の前のことで精一杯で、娘との生活を守りたいという一心で、とにかく必死の日々だった」と、当時を振り返る。

その後、リサイクル品や赤クラゲの中国向け輸出を手掛ける貿易会社にスカウトされ、貿易業務に従事し始めた。
順調だった貿易業務をリーマンショックが直撃。
その頃、居酒屋での会合でトランクルームとして用いる特殊コンテナの輸入を手掛ける経営者と出会った。
当時、韓国から輸入していた特殊コンテナを中国製に切り替えたいとの相談を受ける。
そこで小松さんは、中国国内のコンテナ製造会社を調べ、リストを経営者に手渡した。
そして、経営者と一緒に中国全土を飛び回り、製造委託先を決めた。
しかし、委託先が輸出認定を得ておらず、3年掛かりの二人三脚で資格取得に取り組み、「この間、本当に大変だった」と、小松さんは明かす。

輸出認定の取得後、中国から輸入した特殊コンテナを日本企業に卸売をする貿易事業を立ち上げた。
当初、貿易事業を数年で取扱高1億円の大台に乗せるなど順調だったものの、コロナ禍が襲った。
一気に仕事が無くなり、さらにプライベートでのトラブルも重なって一時、メンタル面で病んだこともある。
そんな中、櫛田神社駅前で始めたワインバーが一筋の光明となった。

海外貿易に加え、不動産取引でも〝虹の架け橋〟を

オーシャン・レインボウ株式会社 創業者 小松玲子

「打ち手無限」━━。
波乱万丈の人生を歩んで来た小松さんは、最もうれしかったこととして、「自分の力で子どもを大学へ通わせ、卒業して社会人に育て上げたこと」を挙げる。

「いまでも明日が見えない。だから、今日1日精一杯がんばっている。これまで選択した結果が、いまの自分であり、人生はやり直しできない。だから、いま全力で取り組んでいる」とする小松さんは、2~3カ月に一度の割合でワイン会を主宰し、仲間とグラスを傾ける。

「不動産は大きな買い物であり、それだけに信頼が大切だ」と考える小松さんは、「実務経験を積んで将来的に不動産業で独立したい」との思いを膨らませる。
海外貿易に加えて、不動産取引分野でも〝虹の架け橋〟を志す。

DATA

名 称オーシャン・レインボウ株式会社
住 所:福岡市東区
創 業:2013年(2015年10月設立
創業者:小松玲子
事 業:貿易業、旅行業、飲食業など

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