【人物図鑑】海外との〝虹の架け橋〟でヒト・モノ、そして元気や喜びを贈り届ける

オーシャン・レインボウ株式会社
代表取締役
小松玲子

オーシャン・レインボウ株式会社
代表取締役
小松玲子

【こまつ・れいこ】
1974年1月5日生。中国・大連出身。中国の大学を卒業後、銀行に勤務。1999年に来日して結婚し、帰化する。2003年に離婚して娘を引き取ってシングルマザーとなる。レストランでの皿洗いを始めた後、第一生命保険株式会社に入社、九州地区での法人営業において入社3年未満の新人部門で営業成績での第1位を獲得。その後、貿易会社に転職し、2013年に特殊コンテナの輸入業で起業。2015年10月、オーシャン・レインボウ株式会社、サン・トラベル株式会社を設立して代表取締役に就任。2022年12月ワインバー『Briller』をオープン。趣味は料理、カラオケ、ゴルフ。

【3Points of Key Person】

トランクルーム用コンテナの輸入を手掛けながら、ワインバーを開店
◎ 中国・大連出身、来日して結婚・帰化しシングルマザーとなって奮闘
◎ ワインの輸入や日本酒・焼酎・ウイスキーの輸出にチャレンジ

櫛田神社前駅近くで貿易会社の女性社長がワインバー開店

福岡市地下鉄七隈線の博多駅乗り入れと共に誕生した櫛田神社前駅━━。
キャナルシティ博多にも程近い同駅の東改札口側4番出入り口から徒歩1分の所に3階建てビルがある。
2階のドアを開けると、おしゃれで温かみのある空間が広がる。

「もともとお酒が好きで、ワイン好きだったこともあり、いつか小さなお店を持ちたいと考えていた。当初は老後の楽しみのつもりだったものの、今回のコロナ禍で《今だ》と思った」
ワインバー『Briller』を始めたオーシャン・レインボウ株式会社の小松玲子代表取締役の飲食経験はゼロだった。
「店名の『ブリエ』とは、フランス語で《人が輝く》という意味があり、お越しいただいたお客さまも輝いて、そして《元気になってほしい》という願いも込めている」と、やさしいまなざしで語る。

昼間は企業経営者、夕方からワインバー店主━━。
2つの顔を持つ小松代表の本業である貿易会社では、トランクルームとして使用する特殊コンテナの輸入業務を手掛ける。
コンテナ輸入に加えて、海外からワインの輸入や焼酎・日本酒・ウイスキーの輸出の免許を1年掛かりで取得して今後、本格化させていく考えだ。

中国出身、生保法人営業で九州1位、コンテナ輸入で起業

【画像】小松玲子

「人生は出会い。私自身の人生も出会いで大きく変わった」と説く小松代表は中国・大連出身の中国人だった。
日本人男性と出会い、結婚・帰化した経験を持つ。 子どもの頃、隣の家に仲良しだった女友だちが、日本人だった祖母らと住んでいた。
彼女らを介して、日本の製品やカルチャー、ファッションに興味を抱いた小松代表にとって、いつしか《日本は憧れの国》となった。

中国の大学を卒業した小松代表は最初、銀行員として働き始めた。
当時、銀行員は公務員と同格にみなされ、人々にとって憧れの職業だった。事実、小松代表は銀行員時代、両親へマンションを贈るという親孝行もできた。

入行3年目、日本での金融機関研修を受ける機会を得た小松代表は、日本の地に降り立った。そして、研修中に一人の日本人男性と出会う。
帰国後、小松代表の元に毎週、日本語で書かれたエアメールが届くようになった。
当時、日本語を読めなかった小松代表は、日本語のできる友人に翻訳をしてもらった。しかし、毎週の翻訳作業に友人が根を上げると、小松代表は独学で日本語を学び始めた。

銀行員としての生活自体は安定していたものの、「若かったこともあり、物足りず、親に内緒で銀行を辞めた」。後日、退職の事実を知った母親は激怒したそうだ。
その後、日本へ渡った小松代表は、遠距離恋愛だった日本人男性と華燭の典を挙げた。
一児を授かったものの、いろいろあってうつ状態となり、結果的に離婚に至った。

当時3歳だった娘を引き取ってシングルマザーになった小松代表は、生活のためにレストランでの皿洗いの仕事を始めた。
程なく困窮して、加入していた生命保険の契約内容の見直しで生命保険会社に電話した。電話口に出たのは営業所の女性責任者で、偶然にも彼女と同じ誕生日だった。
小松代表の事情を知った彼女は、保険会社への入社を熱心に薦めた。
熱意に押された形で3カ月間の研修を受けたものの、いざ営業を始める段階になると、不安に押しつぶされそうになった。
研修最終日の夜、営業所の女性責任者と自分の娘と3人で食事をした小松代表は、「覚悟を決めて≪頑張ってみよう≫と思うと、周りの風景が違って見えてきた」。

もともと中国出身で親戚や同級生らがいない中、小松代表は経営者の集まる会合に積極的に飛び込んだ。すると、出会いが新たな出会いを生み、第一生命の九州地区法人営業で新人営業職部門でのトップ成績を上げた。
表彰式で壇上にも上がった小松代表は、「当時は目の前のことで精一杯で、娘との生活を守りたいという一心で、とにかく必死の日々だった」と、当時を振り返る。

その後、リサイクル品や赤クラゲの中国向け輸出を手掛ける貿易会社にスカウトされ、貿易業務に従事し始めた。順調だった貿易業務をリーマンショックが直撃。
その頃、居酒屋での会合でトランクルームとして用いる特殊コンテナの輸入を手掛ける経営者と出会った。
当時、韓国から輸入していた特殊コンテナを中国製に切り替えたいとの相談を受ける。そこで小松代表は、中国国内のコンテナ製造会社を調べ、リストを経営者に手渡した。
そして、経営者と一緒に中国全土を飛び回り、製造委託先を決めた。
しかし、委託先が輸出認定を得ておらず、3年掛かりの二人三脚で資格取得に取り組み、「この間、本当に大変だった」と、小松代表は明かす。

輸出認定の取得後、中国から輸入した特殊コンテナを日本企業に卸売りをする貿易事業を立ち上げた。
さらに縁あって中国からのクルーズ船客向け免税店の運営補佐や集客業務も担当した。
小松代表が免税店を辞めると、取引先や関係先からの要望でインバウンド向け旅行会社を設立することになった。

当初、貿易事業を数年で取扱高1億円の大台に乗せるなど順調だった貿易事業と旅行業をコロナ禍が襲った。一気に仕事が無くなり、さらにプライベートでのトラブルも重なって一時、メンタル面で病んだこともある。
そんな中、櫛田神社駅前でのビル建設計画を聞いて長年、暖めていたワインバー構想に一筋の光明を見出した。

ワイン輸入や日本酒・焼酎輸出で海外との架け橋へ

【画像】小松玲子

「打ち手無限」━━。
波乱万丈の人生を歩んで来た小松代表は、最もうれしかったこととして、「自分の力で子どもを大学へ通わせ、卒業して社会人に育て上げたこと」を挙げる。

「いまでも明日が見えない。だから、今日1日精一杯がんばっている。これまで選択した結果が、いまの自分であり、人生はやり直しできない。だから、いま全力で取り組んでいる」とする小松代表は夜のとばりが下りる頃、バーカウンターに立つ。
そして、ワインの輸入と日本酒・焼酎・ウイスキーの輸出という新たな海原へ船出していく。

DATA

名 称オーシャン・レインボウ株式会社
住 所:福岡市博多区祇園町7-3 (ワインバー『Briller』)
創 業:2013年(2015年10月設立
代表者:代表取締役 小松玲子
事 業:貿易業、旅行業、飲食業など
URLhttps://ocean-rainbow.hp.peraichi.com/

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