【人物図鑑】観光地理学を〝テコ〟にポストコロナ時代における地域活性化を目指す

【画像】九州産業大学地域共創学部観光学科 教授 田代雅彦

九州産業大学
地域共創学部観光学科 教授
田代雅彦

【画像】九州産業大学地域共創学部観光学科 教授 田代雅彦
九州産業大学地
域共創学部観光学科 教授
田代雅彦

【たしろ・まさひこ】
1962年8月31日生、北九州市出身、福岡県立福岡高校卒~早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒(文学士)~東北大学大学院理学研究科地学専攻博士前期課程修了(理学修士)~九州大学大学院経済学府経済システム専攻博士後期課程単位取得満期退学(博士(経済学))。1992年1月公益財団法人九州経済調査協会に入職。調査研究部長、常務理事を歴任後、2017年4月九州産業大学教授に就任。専門は観光地理学。趣味は旅行、好きな言葉は「めでたしめでたし」。

【3Points of Key Person】

地理好き、旅行好きが高じて観光地理学を専門に。観光学科主任
◎ 中国留学を経験、シンクタンク研究員を経て大学教授となる
◎ 無駄の効能も踏まえながら、観光による地域活性化に取り組む

地理好き・旅行好きが高じて、専門は観光地理学

【画像】九州産業大学地域共創学部観光学科 教授 田代雅彦

いま、観光産業は大きな岐路に立たされている。観光庁が2020年6月に発表した『令和2年版観光白書』によると、日本人および訪日外国人旅行者による2019年の旅行消費額は前年比7.1%増の27兆9千億円にも上った。
しかし、2020年に発生した新型コロナウイルス感染症が、観光産業にも甚大な被害をもたらした。「新型コロナウイルスの影響で観光産業は、全国的に厳しい状況に置かれているものの、観光自体は決して〝もうダメな産業〟ではない。これからの10年後、20年後という長期的に見たとき、観光は依然として重要な産業である」と、九州産業大学地域共創学部観光学科の田代雅彦教授は、真摯な表情で語る。

 同学では1999年4月、九州で初めて「観光」を冠した学科として、観光産業学科を商学部に開設した。その後の文系学部再編により地域共創学部が誕生し、商学部観光産業学科は新たに地域共創学部観光学科と同地域づくり学科に再編された。
「子どもの頃から地理が好きで、旅行も好きだったこともあって、観光地理学が専門になった」「観光学科の学生には、さまざまな経験と知識を蓄積して、地域を、そして日本を元気にしていける力を身につけてほしい」とエールを送る。田代教授自身は、「学生たちをできるだけフィールドワークへ連れていき、現地で実地に学ばせたいものの、人数の多さに加えてコロナ禍の現状においては、難しい面もある」と、ウィズコロナ下における大学教育の〝いま〟と向き合う。

地理好き鉄道少年は研究員を経て大学教授に就く

【画像】九州産業大学地域共創学部観光学科 教授 田代雅彦

大阪万博の名称でも知られる日本万国博覧会は、日本初でかつアジア初の国際博覧会として1970年3月から半年開催されて当時、史上最多の6400万人余りが来場した。当時、小学校1年生だった田代少年も両親に万博行きを懇願したものの、経済的な理由で叶わなかった。
その半年後、母と姉との三人で埼玉県に住む親戚を訪ねた旅行では、小倉から新大阪まで寝台急行、新大阪から東京まで〝夢の超特急〟新幹線ひかり号に乗った。復路は東京から門司までブルートレインで帰って来ると、「すっかり鉄道ファンになり、時刻表を片手に旅行を空想して、地理も好きになった」ことを田代教授は明かす。

高校時代はサイクリングで各地へ出掛け、大学時代には沖縄を除く46都道府県に足を踏み入れた。そして、大学で応用地理学を専門にハザードマップ開発の先駆者でもある大矢雅彦早大教授のゼミに入った田代教授は、「地理の楽しみだけでなく、地理学は実際に世の中に役立つことを知って、がぜん面白くなり、もっと勉強をしたくなった」。
大学院へ進学した後、初の海外旅行として出掛けたのは中国だった。香港から北京までの一人旅も含めて約20日間滞在した中国は、「とにかく楽しかった。当時の人々は素朴で親日で、すっかり好きになった」と、田代教授の目じりは下がる。

大学院修了後、東京の交通系シンクタンクに2年半勤務した後、田代教授は1990年9月から1年間、中国・北京へ語学留学する。「当時、中国の物価は相当安く、留学しながら中国各地への旅行もできた」と、田代教授は目を細める。
帰国後に偶然、九州経済調査協会の関係者と出会って中途採用面接を受けたところ、「九経調に拾ってもらった」「九経調では、専門分野に特化する東京のシンクタンクと異なり、地域のいろいろなテーマを手掛けられて、忙しかったものの、刺激的で楽しい日々だった。何よりもデータを重んじながら〝足で稼ぐ〟ことの大切さを学んだ」と、田代教授は柔和な表情で振り返る。

九経調時代に唯一、総論を担当した『九州経済白書』が、2003年版の『新しい観光・集客戦略』だった。
A4版に誌面を大判化した初号である同白書では「当初、テーマとして観光を提案したところ、経済白書にそぐわないと猛反対に合った。粘り腰で交渉を続けて、結果的に時間切れの形で『観光・集客』をテーマにした白書が誕生した」とのことだ。
しかし、このテーマはタイムリーだった。2004年10月、九州地域戦略会議に設けられた九州観光戦略委員会は、『九州観光戦略』を策定し、2005年4月に『九州観光推進機構』が誕生したが、田代教授は同戦略の策定に深く関わることとなった。
また、2005年度から福岡商工会議所の『九州観光マスター検定試験』作成にも参画して、大学の観光学関係者との人脈を得た。

在職中の2009年に九州大学大学院へ通い始めた田代教授の在籍年数は、3年間の休学期間も含めて実に8年間にも及んだ。
「修士号を持っていたので、軽い気持ちで仕事の傍らに大学院の博士課程へ通い始めたら、とにかく大変だった、忙しくて博士論文はまったく進まず、最後の1年を迎えて辞めようと思ったところ、退官を控えた指導教官から《あと1年だけ頑張ってみろ》と説得された」。
当時、常務理事を務めながら調査研究部長も兼務し、さらに九経調70周年事業とも重なって多忙を極めていた。
在籍最終年において、職場の休日も含めて10連休となったゴールデンウイークを迎えて、「腰を据えて論文を書き始めると、ゾーンに入って降って涌いたように筆が進み、博士論文のめどが立った」という。そのような時に大学側から教授招請の話が舞い込んで来て〝運命〟を感じたという。

コロナ禍後における、観光による地域活性化を考える

【画像】九州産業大学地域共創学部観光学科 教授 田代雅彦

「ポストコロナ時代になっても、人が現地を訪ねる観光が廃れることはない。今後、観光がどのようなスタイルになっていくのか、観光による地域活性化の仕組みをどのように変えていくのかも研究していきたい」と考える田代教授は、非効率や間違いを嫌って、無駄やはずれを評価しない昨今の風潮を憂う。
「日本人に精神的、経済的なゆとりが無くなったことも原因だが、無駄は決して無意味でなく、むしろ素晴らしいモノだ。無駄足も旅の思い出の一つであり、その辺も含めて観光に新たな価値を与えたい」。人生上の〝寄り道〟も多かった田代教授は、無駄の効用についても言及する。

DATA

名 称:九州産業大学
住 所:福岡市東区松香台2-3-1
開 学:1960年4月
代表者:理事長 津上賢治、学長 北島己佐吉
事 業:総合大学
URLhttps://www.kyusan-u.ac.jp/

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