【人物図鑑】シリコンバレーでの開眼が、政府系の銀行マンを大学教授、起業家へ導く

e.lab
代表
谷川徹

e.lab 代表 
谷川徹

【たにがわ・とおる】
兵庫県出身、1949年生、京都大学法学部(行政法)卒。1973年日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に入行。ロサンゼルス首席駐在員、国際部次長、政策金融評価部長などを経て、同行を退職。2000年に渡米し、スタンフォード大学 アジア太平洋研究センター客員研究員就任。2003年より九州大学先端科学技術共同研究センター(現グローバルイノベーションセンター)教授/副センター長。知的財産本部副本部長、同本部国際産学官連携センター長歴任後、ロバート・ファン/アントレプレナーシップ・センタ−( QREC)を起ち上げて初代センター長に就任。2015年3月に定年退職、同年4月特命教授に就任。2017年3月任期満了で九州大学を退職。2017年4月e.labを創業し代表に就任。現在に至る

【3Points of Key Person】

◎銀行員として順調に出世後、シリコンバレーで開眼
◎金融界から大学界へ転身して、産学連携と起業家教育に尽力
◎退職後、自らも起業してシンク&ドウタンクを営む

九大教授を退官・退職後、67歳でシンク&ドウタンクを創業

運命は自ら切り開くものだ――。 デヴィッド・リーン監督作の映画『アラビアのロレンス』で主人公のイギリス陸軍将校トマス・エドワード・ロレンスが、砂漠で行方不明になったアラブ人の部下の救出へ周囲の反対を押し切って向かう際に言い放ったせりふだ。
京都で過ごした学生時代に名作を見た谷川徹e.lab代表にとって、その後の人生は、銀行マンを振り出しに大学教授へ転身していま起業家として活動しているなど、自らの人生を開拓してきた半世紀だったともいえる。

「これまでの銀行や大学での経験を生かして、いま手掛けているのは産学連携やベンチャー企業支援、アントレプレナー教育、大学マネジメント、地域活性化に関するアドバイスやコンサルティングなどであり、シンク&ドウタンクとしての役割を担っている」と、谷川代表は現在の事業内容を解説する。
長年、大学での起業家教育を担当してきただけに、元教え子のベンチャー企業経営者らからのビジネスモデルや資金調達などの相談も多い。「自分で面白いと思った案件のみ相談に乗っている。そして、必要に応じてベンチャーキャピタルなどの紹介や資金を呼び込むためのアドバイスもしている。相手や紹介先もハッピーになって、マッチングした自分自身のバリューも上がって、地域経済も元気になれば、それがベスト」と、谷川代表はにこやかに語る。

御年67歳で自ら起業した谷川代表は、QRECや複数のベンチャーキャピタルのアドバイザーをはじめ、人口8000人の町で外部から専門人材で組織した地域創生協議会の顧問、全国で空き家のゲストハウス化を手掛けるNPO法人の幹事、経済産業省グローバル起業家等育成プログラムのサポーター、産学連携に関する国際的な大学ネットワークの評価委員、ITに関する専門職大学客員教授などの多彩な顔も併せ持つ。

インターネット勃興期のアメリカ滞在で人生観が変わった

「1995年にロサンゼルス首席駐在員として赴任したアメリカ滞在時の体験が、今から振り返ってもエポックメイキングだと思う。現地でイノベーションのダイナミズムを体感して、〝組織ではなく、個人の力がカギだ〟ということを実感して、以前から抱いていたモヤモヤがすっきり晴れた」と振り返る谷川代表は1973年4月に日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に入行して、入行後、融資や審査、経営企画、システム開発、中央省庁との調整業務などを担当してきた。
そして、自身初の海外勤務としてロサンゼルスに赴任した当時のアメリカは、シリコンバレーを核にインターネットが急速に普及してベンチャービジネスが一大ブームとなった時期だった。
3年間のアメリカ勤務を経て帰国すると、国際部次長や初代の政策金融評価部長を務めて、取引先への出向を打診された。
一晩悩んだ末に出した結論は、「人生50年を節目に銀行を辞めて、自分の人生を自ら設計し直すことで自分自身の市場価値を高めていく」ことだった。

2000年6月に銀行を辞めて一大決心して渡米した現地では、知人が、無給ではあるものの スタンフォード大学のアジア太平洋研究センター客員研究員のポストを紹介してくれた。
そして、同大学が取り組むアジアのハイテク地域クラスターに関する国際調査研究プロジェクトに参加して、日本地域担当リーダーを務めた。
また、シリコンバレーの日系起業家を支援する団体(SVJEN)を共同で立ち上げるなどの活動を重ねる中で、九州大学から、産学連携組織の起ち上げと運営責任者に来て欲しいと白羽の矢が立ち、かつて銀行時代の福岡支店勤務で好印象を抱いていた福岡へ居を移した。

金融界から大学界への転身で、当初は文化や風土の違いに戸惑うことが多かった。
衝撃的な出来事の一つは、優秀な教え子の学生に将来の夢を尋ねたところ、返ってきた答えが《地元の電力会社への就職》という言葉だった。
2005年、九大卒の起業家でアメリカでの事業が大成功したロバート・ファン氏から10万ドルの寄付の申し出があった。「外の世界を知らないから、結果的に将来の選択肢を少なくしている。かつて自分自身が米国駐在で大きく変わったように、学生に広い世界を見せ、人生には沢山の選択肢があることを知る機会を提供することが必要だ」と考えた谷川代表は、10万ドルを基金にして、シリコンバレーで学生を研修するロバート・ファン/アントレプレナーシップ・プログラムを立ち上げた。

学生20数人を引率して現地へ赴くと、彼らは初日から興奮状態となった。「人生観が変わった」「こんな生き方があるんだ」という声が学生の間から上がる中、「自分の人生を自分自身で決めることが世界の常識なんだ。これからは、自分が本当にやりたかったことをやっていく」と、感極まって泣き出す男子学生もいた。彼はその後大学院進学時に専攻を変えて本来進みたかった分野へ進み、自分の道を見つけた。
その後ロバート・ファン氏からの新たに100万ドル(約1億円)の寄付の申し出があり、2010年12月、九州大学全学の学部生・大学院生向けに起業家教育を実施するロバート・ファン/アントレプレナーシップ・センターを立ち上げて、初代センター長に就任した。
同センターでの取り組みは、ニュービジネス協議会連合会での経済産業大臣賞受賞をはじめ、文部科学省のイノベーション人材育成事業であるEDGEプログラムにも採択され、日本におけるアントレプレナーシップ教育組織のモデル的存在となった。

生涯現役をモットーに永遠にチャレンジし続ける

「生涯現役をモットーにして、永遠にチャレンジし続けて、ワクワクするコトに好奇心をもって関わっていきたい」と語る谷川代表は、若い人や新しいコトに関わっていることで自分自身のモチベーションも高まるという。
 2019年2月に『地域産業のイノベーションシステム』を共同執筆した谷川代表が現在、自分自身の夢として掲げているのは、自らの仕事の集大成としてアントレプレナーシップ教育に関する論文を書いて、博士号を取得することだ。

「チャンスは誰でもあるが、自らチャンスを取りに行かないといけない」と考える谷川代表は、「人生を楽天的に、ポジティブに考えることで、明るい未来が必ずやってくる」と、自信を持って説く。

DATA

社 名:e.lab (イーラボ:アントレプレナーシップ・ラボラトリー)
住 所:福岡市中央区天神1-9-17 福岡天神フコク生命ビル15階
創 業:2017年4月
代 表:代表 谷川徹
事  業:産学連携、ベンチャー企業支援、起業家教育、大学経営、地域活性化

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