【人物図鑑】ITで障がい者をはじめ多彩な人たちの多様な働き方の実現を目指す

【画像】株式会社eise if  代表取締役社長  髙森啓二

株式会社eise if
代表取締役社長
高森啓二

【画像】株式会社eise if  代表取締役社長  髙森啓二
株式会社eiseif
代表取締役社
髙森啓二

【たかもり・けいじ】
1972年8月18日生、大分市出身、大分県立情報科学高校卒。卒業後、地元のソフトウェア開発会社に入社し、エンジニアとして業務に従事する。その後、大阪の大手システム会社に転職して20年勤務。1999年福岡営業所の開設に際して初代メンバーとして赴任。2003年福岡事業所長に就任。退職した後、2015年8月に株式会社else ifを設立して、代表取締役に就任。2018年5月株式会社カムラックの常務取締役に就任。人気アニメだった『キャプテン翼』に憧れて、学生時代から社会人までサッカーをプレーし、ポジションはフォワード。

【3Points of Key Person】

◎障がい者就労継続支援A型事業を手掛けるカムラックの兄弟会社
◎ サッカー少年が高校でパソコンと出会ってIT業界へ、IT企業を創業
◎ ITを生かした多様な働き方の実現に向けて取り組んでいく

障がい者施設とタッグを組む異色のIT企業

【画像】株式会社eise if  代表取締役社長  髙森啓二

「ITが、障害のある人たちを〝仕事〟〝経済〟〝自立〟の各方面から支援できるという事実をたくさんの方に知っていただきたかった」――。
ソフトウェア開発会社である株式会社else if(エルスイフ)の高森啓二代表取締役社長は、アマゾンからKindle版著書『それ以外で勝負している会社 else if 実績から学ぶ、IT業界で障害をもった方々とプロジェクトを成功させた多様な働き方』に発行した理由を記す。

《実績から学ぶ、IT業界で障害をもった方々とプロジェクトを成功させる多様な働き方》という副題をもつ著書を著した高森社長は、一般企業での就労が困難な人たちに働く場や知識・能力の向上訓練を行う障がい者就労継続支援A型(=雇用型)事業を手掛ける株式会社カムラックの賀村研代表取締役との二人三脚で〝多様な〟働き方の実現に取り組む。
販売管理や顧客管理などの業務アプリケーション開発を請け負うと共に自社パッケージ商品として検診受付システムを開発・販売していくelse ifについて、「カムラックとは、資本や役員を相互に出し合っており、いわば〝兄弟会社〟である」と、高森社長は説明する。

昨今、企業によるCSR(社会貢献)やCSV(共通価値)が注目される中、「ソフトウェア開発とは、技術者による職人芸の世界であり、一流の品質でプロの技術者としての評価を勝ち得るべきだ。このため、あえて、障がい者の業務従事を意識してもらわないようなやり方をしている。お涙頂戴や安売りビジネスは、結果的に成り立たなくなってしまう」と、高森社長は自らの仕事に対するこだわりをみせる。

サッカー少年は如何にしてIT企業社長になったのか

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キャプテン翼世代であり、《夢は将来のサッカー選手》だった高森社長は高校時代、パソコンと出会った。高校進学時に新設の大分県立情報科学高校を選び、1期生として入学したのだ。
高校卒業時、《大都会へ出たい》という思いはあったものの、親の意向をくみ、父の知人が経営する地元のソフトフェア開発会社に入社した。
10人以上にしない・10人分の仕事しかない面白い会社だった。一人で顧客企業を全て担当したので、要件定義からメンテナンスまで全体的な流れを把握できたので、いま振り返っても良い経験だった」と、高森社長は目を細める。

1996年に大阪の大手システム開発会社へ転職した高森社長は、多言語を用いた大型プロジェクトへの参加などを通じて、IT技術者としてのキャリアを積んだ。
そして、同社の福岡事業所開設での初代所員募集に手を挙げて赴任した高森社長は、「最初、仕事を取りに行くと共にソフトウェアの開発要員を同業者から借りる必要があり、福岡に知人・友人はいなかった当時は大変だった」と振り返る。
2003年に30歳で福岡事業所長に就任した際に11人だった社員は、5年間で40人まで膨れ上がった。しかし、その後に起きたリーマンショックによる影響は大きく、事業所の約半数にあたる社員を東京へ異動させるという苦汁の決断も経験した。

この間の2007年8月、知人から「面白い人物がいる」と紹介されたのが、カムラックの賀村代表だった。一緒にランチをしながら、語り合う中で高森社長は、「IT技術者が不足している一方、働きたくでも仕事の無い人たちがいる。一緒にやっていくことで何かできるのではないか」と考えるようになる。
その背景としては、高森社長の妻が障がい者就労支援B型事業所で働き、妻の母が元精神科の看護師だったことも少なからず影響したそうだ。

在職中、カムラックへの発注自体は困難だったものの、《賀村さんと一緒にやりたい》という気持ちが高まった高森社長は、カムラックへの転職による事業化を賀村代表に提案した。
すると、ITのプロ集団による別会社構想を温めていた賀村代表からは「自ら社長になるべきだ」と、独立・起業を勧められた。そして、社労士や税理士、資金コンサルタントらを次々と紹介されて、背中を押されるようなカタチで株式会社else ifが、カムラックの兄弟会社として誕生した。
設立時、一定の受注見込みはあったものの、プロジェクトの中止や延期が相次いだ結果、月々の売上高が5万円の時もあった。
「1年やってみて、さすがに会社を畳もうかと思ったところ、賀村さんと一緒に営業を仕切り直すことになって、走り回った結果、実績も出てきて事業が回り始めた」ことを高森社長は明かす。

多様な働き方の実現にITの力を活用していく

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「障がい者と一緒に仕事をするスキームは軌道に乗っている。もともと〝多様な働き方をつくる〟ことを目的に会社を設立しており、働きたい人たちに働ける場を提供していく取り組みを子どもやシニア層にも広げていきたい」と、高森社長は思いをあらたにする。
東京、大阪に続いて2020年3月に大分事業所を開設した高森社長は、大分県や大分市と共同で大分への就労・移住イベントの開催などにも取り組んでいる。

「多様性のある働き方に取り組む人たちを応援していく」「ワーケーションやテレワークなどでワークライフバランスを整えていきたい」「のれん分けも含めて、自社から経営者を輩出したい」とする高森社長は、「多様な働き方をもっとできる社会になっていくことで、世の中は良い方向へ変わっていく」と、新たなゴールに向けて駆け行きながら、着実にシュートを放ち始める。

DATA

名 称:株式会社else if
住 所:福岡市博多区千代4-1-33 西鉄千代県庁口ビル3F
設 立:2015年8月
代表者:代表取締役社長 高森啓二
事 業:ソフトウェア開発
URLhttp://elseif.jp

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