【人物図鑑】福岡への移住支援事業を核に地域資源の再発見や価値創造に全集中

【画像】福岡移住計画 代表 須賀大介

福岡移住計画
代表
須賀大介

【画像】須賀大介@福岡移住計画
福岡移住計画
代表
須賀大介

【すが・だいすけ】
1976年7月28日生、茨城県水戸市出身、明治大学商学部卒。株式会社システムインティグレータに入社、インターネットで日本初のEC パッケージ開発チームに配属された後、WEBデザインで先駆的な存在だった株式会社キノトロープ勤務を経て、2002年に株式会社スマートデザインアソシエーションを設立して、代表取締役CEOに就任。2010年に農業事業の6次産業化による地域活性事業を手掛ける。2011年3月の東日本大震災発生をきっかけに2012年8月に福岡へ移住。2013年12月、福岡移住計画を立ち上げて、代表に就任。好きな言葉は「二頭波頭」。

【3Points of Key Person】

福岡移住計画を立ち上げて、不動産活用や地域支援などを手掛ける
◎ 2012年に家族で東京から移住し、地方における仕事の進め方に開眼
◎〝探究者〟として、リアル・オンラインのハイブリッド形態を創造

福岡への移住者・希望者の支援事業を立ち上げる

【画像】福岡移住計画 代表 須賀大介

真っ青な美しい海と広々とした空、半島の島々の緑――。天神・博多から列車で30分足らずで到着する今宿駅から連なる住宅地の先に潮騒の響く海岸が広がる。
「東日本大震災以降、自然災害やコロナ禍で生き方や働き方の価値観が多様化する中、海を目前にして大自然を感じると、長期的な視点やアイデア、ビジョンが生まれる」と、福岡移住計画の須賀大介代表は、はつらつとした表情をみせる。

福岡への移住者や希望者に向けた〝居・職・住〟の情報発信をはじめ、コミュニティとしての場づくりやイベント開催などを通じた支援プロジェクトが、福岡移住計画だ。
須賀代表自身も2012年に東京から移り住んだ経験者であり、移住後に本業の会社経営のかたわら、同じ移住仲間や支援者と同プロジェクトを立ち上げた。
福岡移住計画では遊休不動産活用やコミュニティデザイン、地域活性支援、デジタルコミュニケーションの事業領域において「既成概念にとらわれず、地域や企業の魅力や本質を地域資源として再発見し、その価値を編集して伝えていく企画力や情報発信力、クリエイティブ力を強みとする」と須賀代表は自信をみせる。

これまでの実績として、閉店した購買店を改装した多目的スペース『ライズアップケヤ』(糸島市芥屋)、長垂海岸に面したシェアオフィス『SALT』(福岡市西区)、西日本鉄道との共同事業のコミュニティスペース『HOOD天神』(福岡市中央区)、福岡銀行の遊休不動産を活用したシェアオフィス『ダイアゴナルランTOKYO』(東京都中央区)など全国10拠点でシェアスペース事業を展開する。
一方、『ぼくらの移住計画』『ぼくらの福岡移住計画』『福岡クリエイティブキャンプ』『WEB 福岡クリエイティブキャンプ』などのイベントを行政とタイアップして開催してきた実績を有する。

移住での苦闘の末、地方での仕事スタイルを見出す

【画像】福岡移住計画 代表 須賀大介

大学3年生だった1998年1月、当時まだ高価だったパソコンを購入した須賀代表はWeb開発言語のHTMLを覚えて、友人らとWebメディア『THE PLANET PLAN』を立ち上げた。
そして、起業家やアーティスト、クリエイターらの取材記事を掲載してみると、「自分の活動をインターネット上で発表・表現することで今までにない自由さを実感した」
当初、税理士を目指していた須賀代表は、IT業界へ足を踏み入れる。

新卒で入社した株式会社システムインテグレータでは、インターネットで日本初のEC パッケージの開発に従事した。
その後、Webデザインで注目を集めた株式会社キノトロープに転じた後、2002年に独立して、会社経営を始めた。
「システム技術に加えてデザイン力があれば、本質をより良く伝えることができる」「学生時代の『THE PLANET PLAN』の活動を事業として立ち上げたいとの思いがあった」とする須賀代表は、『スマートデザインアソシエーション』という社名の会社を立ち上げて10年、1人で始めた事業は従業員数で40人規模の企業まで成長していた。
もっとも、須賀代表自身は、「ガムシャラに働いてきて、気が付いたら、完全にプライベートが失われていた。なかなか家に帰えれず、帰宅しても深夜に子どもの寝顔しか見れなかった」ことを明かす。

そんな日々の中で遭遇したのは、2011年3月に発生した東日本大震災だった。
「人の命のはかなさを感じた。これからの人生は、家族との時間を大切にしながら、子どもの成長を楽しみたい」と思った須賀代表は、経営資源を東京に一極集中しているリスクも踏まえ、東京と地方に分散した経営スタイルを模索し始めた。結果的にスタッフの半分が去ったものの、〝社長の地方移住〟を実現していく。
当初、家族で長野や山梨などの近場の候補地を回った中、妻の母方のルーツだった福岡を訪ねた須賀一家は、「偶然訪ねた糸島半島で海の美しさに感動し、福岡移住を決断した」

大きな希望を膨らませての福岡移住だったものの、移住当初の現実は厳しかった。
「最初の1年半は、年収で10分の1だったので貯金を取り崩しながら、不安で一杯の日々だった。その後、『ライズアップ』を立ち上げたことで周囲から認められ、その後『SALT』を発足させたことで地場大手企業との仕事が始まった」と、須賀代表は当時を振り返る。
福岡へ移住して初の大型案件を受注した際には、「福岡で仕事をしていく可能性を感じて、福岡は〝夢を叶えられるまち〟だ」と実感した須賀代表は、思わずスタッフと一緒にガッツポーズを決めたそうだ。
この間、試行錯誤を重ねた須賀代表は、「おカネを媒介に取り引きをする東京に対して、地方は信用をベースに成り立っており、最初の5年間はいろいろ勉強になった。そして、その人自身や志をみて仕事していく地方のやり方に新たな可能性を見出した」ことが、本人自身の礎になっている。

リアル・オンラインのハイブリッドに挑む探究者

【画像】福岡移住計画 代表 須賀大介

「コロナ禍に象徴される先の読めない状況下において、社会が大きく変化し続けていく中、人や企業も変わっていきながら、対応していくことが求められる」と考える須賀代表は、今後のキーワードとして『探索者』を挙げる。

福岡移住計画においては従来、人と人がリアルにつながる場づくりを通じてのコミュニティ形成で強みを発揮してきた点も踏まえて、「オンラインイベントもいろいろ試みて、互いに離れた状況下で価値観をどうやって共有していくかについて取り組んできた。今後の挑戦は、場づくりや不動産活用などの場面において、リアルとオンラインとのハイブリッド構造でいかに人々が集い、価値をつくっていくかだ」と、須賀代表は決意をあらたにする。

「場づくりや人づくりを通じて、自分の夢やアイデアを実現して、自らの人生において自分なりの花を咲かせる人が増えると、社会はきっと楽しくなる」と思い描く須賀代表は幾多の荒波を乗り越えながら、〝福岡移住〟という新境地を見出した今日、〝探究者〟として新たな大海原に向けて漕ぎ出していく。

DATA

名 称:福岡移住計画
住 所:福岡市西区今宿駅前1-15-18 マリブ今宿シーサイドテラス
発 足:2012年12月
代表者:代表 須賀大介
事 業:情報発信(コネクション)、現地体験(リサーチ)、コミュニティ受け皿機能(サポート)
URLhttps://fukuoka-ijyu.jp/

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