【人物図鑑】〝地域密着型〟漫画家が広告漫画やデジタル漫画、歴史漫画で地域振興を描く

【画像】漫画家 兼 漫画系専門学校・短大講師 渋田武春

漫画家
兼 漫画系専門学校・短大講師
渋田武春

【画像】漫画家 兼 漫画系専門学校・短大講師 渋田武春
漫画家
兼 漫画系専門学校・短大講師
渋田武春

【しぶた・たけはる】
1960年10月20日生、東海大学第五高校卒~福岡大学商学部商学科卒。幼少期から漫画やアニメ、特撮映画ドラマに影響されて独学で漫画を​描き始める。大学卒業後、福岡市内の印刷会社で約3年半、営業マンとして勤務。退職後の1986年に上京し、複数のアシスタントを経験して、1988年にプロ漫画家としてデビュー、1989年から『週刊少年マガジン』での連載を始め、週刊少年マガジン第87回月例新人賞入賞、同第40回新人漫画賞佳作を受賞。マンガ雑誌や新聞などに連載して現在、デジタル漫画の制作をはじめ、各種企業の広告漫画・イラスト、歴史漫画の制作などを手掛ける。主な作品は『HARD・COP』(講談社刊 全2巻),『ファンキー・ポリス』(講談社刊 全2巻)、『実録・義侠の虎/私設銀座警察シリーズ』(竹書房刊 全3巻)など。総合学園ヒューマンアカデミー福岡校・まんが学科非常勤講師。九州産業大学造形短期大学部・非常勤講師。福岡大学経済学部・非常勤講師。福岡県文化団体連合会・特別個人会員。趣味は卓球。

【3Points of Key Person】

◎ 福津市在住の漫画家、広告漫画やデジタル漫画などを手掛ける
◎『週刊少年マガジン』連載、帰福してデジタル化と営業活動を推進
◎ 地域の偉人らをコンテンツにした歴史漫画で地域振興を志す

『週刊少年マガジン』に連載していた漫画家

【画像】漫画家 兼 漫画系専門学校・短大講師 渋田武春

2020年の紙・電子媒体を合算した出版市場は対前年比4.8%増の1兆6168億円――。公益社団法人全国出版協会・出版科学研究所発行『出版月報』2021年1月号によると、出版市場(推定販売金額)は、前年に続き2年連続でのプラスになった。
2020年のプラス要因としては、従来の電子媒体の拡大に加えて、コロナ禍による〝巣ごもり需要〟、そして『鬼滅の刃』の爆発的ヒットが挙げられる。出版市場のうち紙媒体が同1.0%減だった一方、電子媒体は同28.0%増の3931億円となった伸長著しい電子媒体のうち、実に9割近くが電子コミックと呼ばれる漫画だった。

「漫画家として制作してきた漫画やイラストは、出版社系雑誌や新聞に掲載した作品、企業や広告代理店からの依頼で制作した作品、そして仕事抜きで自主的に描いた作品に大別できる」
地元・福岡在住で〝地域密着型〟漫画家を自認する渋田武春さんは、かつて講談社発行の『週刊少年マガジン』に連載していた経歴の持ち主だ。現在、デジタルによる漫画制作で企業や広告代理店からの広告漫画やイラスト、さらに歴史漫画などで地元・九州を中心に活動している。
「漫画家はもともと自らストリーを考えて、編集者と連携しながら作品をつくり上げる職業なので、企業や広告代理店などからのあらゆる依頼にも対応できる」とする渋田さんは、専門学校や短大での漫画系講師を務めている。

帰福後、自ら営業活動をする漫画家へ変身する

【画像】漫画家 兼 漫画系専門学校・短大講師 渋田武春

現代の漫画につながる、滑稽さや風刺性、物語性を持った〝日本最古の漫画〟とされているのは、絵巻物『鳥獣人物戯画』だ。
約800年の歳月を経た今日、世界から「クール(かっこいい)」と映る日本の〝魅力〟を発信して世界の〝共感〟を得ることで日本のブランド力を高めていく『クールジャパン戦略』においてもアニメ・漫画は、食やポップカルチャーと共に重要コンテンツに位置付けられている。

「『週刊少年マガジン』に連載した時に漫画制作の技術とオーダーメイドに応じたストリーづくりなどを学んだことが大きかった」と振り返る渋田さんは、小学生の頃から漫画家に憧れて独学で漫画を描き始めた。
大学4年生になった渋田さんは上京して、講談社に作品を持ち込んだ。「次作ができたら、また来てくれ」と応対した編集者から名刺をもらい声を掛けられたものの、自信が無かった渋田さんは、地元の印刷会社に就職した。

その後営業マンとして3年半勤務し、業務上で受注した社内報やチラシなどに描いたイラストは好評を博した。
しかし、漫画家になる夢は断ちがたく、1986年会社を退職し、以前もらった名刺を頼りに上京。編集者のアドバイスの下で改めて一から漫画の勉強を始め、漫画家のアシスタントをしながら応募した週刊少年マガジン第87回月例新人賞で入賞し、その後第40回新人漫画賞佳作を受賞。プロの漫画家としてデビューし、週刊少年マガジンでの連載を始める。

「好きな仕事に就けたことは、恵まれていたと思う。好きな仕事で稼げる一方、大変だったのは3人のアシスタントと一緒に毎週20頁を描くために四六時中、仕事漬けの日々になったことだった。自分の好きな仕事である半面、他のことは何もできないというジレンマに陥った」ことを渋田さんは振り返る。
連載していた『HARD・COP』『ファンキー・ポリス』は出版されて書店の店頭に並んだ。
上京して13年目の1999年、39歳になった渋田さんは帰福した。「漫画の世界は、次々と新人が登場する厳しい世界なので、漫画家は相当な努力をしないと、生き残れない現実がある。新作を作るにあたって少年漫画を描く上で読者との年齢的な感覚のズレも出てきてしまい、東京での漫画の仕事に限界を感じたので決断した」と、当時の苦渋を渋田さんは明かす。

帰福後の1年目、仕事も無く、何をしたらいいのかも分からず家に引きこもっていたという渋田さんは、「漫画を描くことしかできないので、大きな出版社の無い福岡で漫画を描く対象は、ビジネス分野だ」と腹をくくり、いろいろなビジネス交流会へ出掛けていく。
「漫画家なのに、営業をされているのか」。交流会での名刺交換の場では、相手から驚かれることも多かった。しかし、かつての営業経験も生きて、顧客を出版社から一般企業や広告代理店へ切り替えることができた。
顧客の要求に対応するため、2000年以降初心者からパソコンの操作を勉強して、デジタルの仕事を増やしていく。「紙媒体には限界があり、電子書籍やホームページ・ネット広告に対応できる、デジタル漫画が今はメイン」と語る。

〝地域密着型〟漫画家として地域振興にも尽力

【画像】漫画家 兼 漫画系専門学校・短大講師 渋田武春

この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ――。
進化論を唱えたダーウィンの考え方や19世紀ロシアの生物学者カール・ケスラーの進化説を独自に解釈して、1960年代にルイジアナ州立大学においてマーケティングを教えていたレオン・メギンソン教授による言葉だ。

自らも環境に合わせて顧客や仕事の仕方を変化させた渋田さんは、「広告漫画は引き続き手掛けながら、地域の偉人を題材とした歴史漫画を通じて、地域振興も図っていきたい」と、意欲をみせる。
渋田さんは2018年6月、『博多祇園山笠』の歴史を紹介する漫画『博多の恩人・聖一国師と博多祇園山笠』(原作:井上政典九州歴史観光戦略研究所代表)の作画を担当して、4年掛かりで完成させた。

「漫画は商品やサービスの訴求だけでなく、地域おこしにも活用できる。デジタル漫画の場合、電子書籍として海外へ普及させていくことも可能だ」と考える渋田さんは、「一般的な漫画家のイメージでなく、地方在住・地域密着型の漫画家として、新しいモノを取り入れていきながら、いろいろな漫画を描いていこうと思う。お気軽にお声掛けください」と、気さくな表情で呼び掛ける。

DATA

名 称:漫画家 渋田武春
住 所:福岡県福津市在住
創 業:1988年(プロ漫画家デビュー)
事 業:漫画やイラストなどの制作
URLhttps://www.take-9.com/

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