【人物図鑑】地元ネタの〝かぶりモノ〟劇で街の〝モノ語り〟を演じる個性派劇団

【画像】大塚ムネト

ギンギラ太陽’s
主宰
大塚ムネト

ギンギラ太陽’s
主宰
大塚ムネト

【おおつか・むねと】
1965年4月11日生、福岡県小郡市出身、福岡大学附属大濠高校卒。在学中に演劇部に在籍し、本格的に演劇活動を始める。1997年ギンギラ太陽’sの主宰に就任して、作・演出・かぶりモノ造形・出演・宣伝美術まで一手に担う。1999年8月西鉄ホールのオープニングに際し、地元劇団としての初上演で観客動員数2000人を記録。2005年10月に初の東京〝地方〟公演として東京・渋谷のPARCO劇場で公演。2009年に初の全国ツアー公演。2004年6月放送のNHKFMシアター『福岡天神モノ語り』(日本放送協会制作)で第42回ギャラクシー賞ラジオ部門優秀賞、2007年度福岡県文化賞、2010年度福岡市民文化活動功労賞を受賞

【3Points of Key Person】

◎ 地元ネタの〝かぶりモノ〟劇で知られるギンギラ太陽’sの主宰
◎ 幼少期から演劇に目覚め、10年間の模索で自らの表現スタイルを確立
◎ 動いていく街の歴史を物語にして、独自の表現スタイルで演じていく

建物や乗り物の〝かぶりモノ〟で街を〝モノ〟語る

【画像】ギンギラ太陽’s 主宰 大塚ムネト

西鉄バス軍団、ソラリアデビル、ひよこ侍、スカイマークさん……。
役者が建築物や乗り物などの〝かぶりモノ〟を介して街を擬人化した作品で知られる地元劇団、ギンギラ太陽’sの大塚ムネト主宰は、「街の移り変わりを取材して物語にしてきただけに天神ビッバンで街がどのように変わっていくのか、ワクワクしながら見守っている」と柔和な表情で語る。

一般的にかぶりモノ劇はコントと思われがちだが、ギンギラ太陽’sの場合、作・演出・出演を兼ねる大塚主宰が、徹底した地元取材で脚本を書き上げた、〝笑いあり・涙ありの地域密着型エンターテインメント〟となっている。
劇団の看板演目は、天神の発展に至る苦難の歴史を描いた『天神開拓史』だ。
最近では、天神ビッグバンで変化していく天神を舞台にした新作短編集『天神ビッグバン!バン!バン!』シリーズも上演して注目を集める。街の〝モノ語り〟劇に加えて、地元の知られざる偉人らにスポットライトを当てた作品として、『川上音二郎・貞奴物語』や『岡部平太物語』なども上演する。

地元ネタの〝かぶりモノ〟劇を武器に幾多の逆境と闘う

【画像】ギンギラ太陽’s 主宰 大塚ムネト

「小さい頃から演劇オタクだったかもしれない」。子どもの頃、夜寝る前に、その日起きた一番面白かったことや心動かされた出来事を布団の上で再現していたという大塚主宰は、「遊びのつもりだったが、再現する際は演出家目線だったかもしれない」と目を細める。

本格的な演劇活動は、福岡大学附属大濠高校で演劇部の門を叩いたことで始まった。
当時の演劇界の〝主舞台〟は東京、大阪であり、生まれ育った福岡にこだわった大塚主宰は、「《地元劇団の演目は見ない》という人たちに《福岡ならではの作品を自分にしかできない表現で見てもらいたい》と10年間もがき続けた」

「自分らしさ、福岡らしさ」とは何か。試行錯誤の末にたどり着いたのが、再開発で活気にあふれる天神を題材に〝街を擬人化する〟物語だった。
そして自分の造形技術でかぶりモノも製作し、建築や乗り物を擬人化する表現手法を確立。大塚主宰は、「ついに自分らしい表現という〝武器〟を見つけた。そして、その〝武器〟を地元のお客様に喜んで受け入れてもらえて、本当に嬉しかった」と語る。

西鉄ホールが開業した1999年4月、地元こけら落としで演じた『天神開拓史』は、「笑って泣ける物語をつくりたいという思いをカタチにできた」とする大塚主宰は、「取材を通じて、作品に登場するモノ達の〝今〟が積み重なって歴史になると体感した。今を描くというヨコ軸に、歴史というタテ軸が加わり、物語に奥行きが生まれ、観客も三世代に広がった」
その結果、観客数2000人という異例の動員記録を達成し、就任時に掲げた〝プレイガイドでの一般販売〟という目標も叶えた。

もっとも、今日までの道のりは平たんでなかった。
2003年9月に予定されていた嘉穂劇場での公演は大雨による浸水被害で中止となり、先行して投じた制作費を回収できず、大塚主宰は窮地に追い込まれた。
その時に救いの手を差し伸べたのは、劇団あんみつ姫をはじめ、劇場運営やプロダクション経営などを手掛けるアンミックスエンタテインメント株式会社の石川鉄也代表取締役だった。「石川代表にプロデューサー役を買って出てもらえたので、表現活動に専念できるようになった」とする大塚主宰は2004年11月、奇跡的に復活した嘉穂劇場での公演を果たした。

2005年3月の西鉄ホールでの公演期間中、開演前に直撃したのは福岡県西方沖地震だった。地震直後から殺到した問い合わせ電話に大塚主宰自ら対応したものの、建物側からの退館指示で鳴りやまない電話に後ろ髪を魅かれながら会場を後にした。
中止になった悔しい思いを東京公演でぶつけてみませんか――。ぼうぜん自失だった大塚主宰宛にPARCO劇場から異例の呼び掛けがあった。そして、大塚主宰は、PARCO劇場での東京「地方」公演であえて福岡と同じスタイルを貫くと、「冒頭の地元ネタでのつかみこそ芳しくなかったものの、物語として構成している笑いや感動は、しっかり受け止めてもらえて、クライマックス場面では拍手喝采と大成功を収めることができた」と、破顔一笑だ。
翌年の全国ツアー公演につながった。
今回、コロナ禍がエンターテインメント業界にも大打撃を与えた状況下、大塚主宰は新たな逆境にひるむことなく立ち向かう。

博多にわかの土壌が無許可・実名のかぶりモノを公認

【画像】大塚ムネト

「最初の頃、自分の力だけで演出100点、脚本100点、演技100点を目指した。自分の頭の中の世界がすべてだったが、ある日、多忙で〝完璧〟な脚本ができず、けいこ場でイメージと方向性だけを伝えてみんなでつくってみると、自分の100点満点よりも面白いモノができた」ことを経験した大塚主宰は、「それまでは、自分だけの小さな世界にこだわっていた。これをきっかけに仲間と一緒にカタチにしていくことで面白さと共に作品の幅も広がった」と、にこやかな表情をみせる。

ギンギラ太陽’sのかぶりモノ劇に登場する建物や乗り物は、実名かつ無許可だったため、「いつか怒られるかもしれない。でも、怒られるぐらいのことをしないと、埋もれてしまう」という葛藤する思いを大塚主宰は抱えていた。
しかし、地元経済界の重鎮をはじめ関係者からは怒られるどころか、返って面白がられた。
この点について、「地元に伝わる博多にわかは元々風刺劇であり、世間を風刺する文化や土壌があったから、ギンギラも受け入れられたのではないか」と分析する。

今後、福岡の街が大きく変わっていく中、「無許可の表現を許されて23年目。今後も街の語り部として、地元福岡の物語をつくっていく」と語る大塚主宰の街並みを見るまなざしは優しい。

DATA

名 称:ギンギラ太陽’s
住 所:福岡市中央区那の津1-3-7 ANMIX BLDG(ANMIX ENTERTAINMENT株式会社)
代表者:主宰 大塚ムネ
事 業:地域密着型エンターテインメント
URLhttp://www.gingira.com

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