【人物図鑑】〝女豹〟の異名を持つスーパー公務員が思い描くまちづくりの夢とは

【画像】大刀洗町 地域振興課長(兼)自治振興係長 村田まみ

大刀洗町
地域振興課長 兼 自治振興係長
村田まみ

【画像】大刀洗町 地域振興課長(兼)自治振興係長 村田まみ
大刀洗町
地域振興課長 兼 自治振興係長
村田まみ

【むらた・まみ】
1972年7月6日生、福岡市出身、中学・高校時代を福岡県大刀洗町で過ごす。福岡県立朝倉高校卒。1994年4月大刀洗町役場に入庁、税務課に4年間、戸籍・住民基本台帳・外国人登録・三手当(児童手当・児童扶養手当・特別児童扶養手当)を10年間手掛けて、農業委員会と教育委員会をそれぞれ1年半ずつ担当。その後、地域振興・まちづくりを手掛けて12年。趣味はホルン演奏、音楽指揮、料理、酒、水泳。尊敬する人物はココ・シャネル。好きな言葉は「日々是勝負前!」

【3Points of Key Person】

◎大刀洗町役場の公務員が、《住む町に誇りを持つ》まちづくりに挑む
◎ 大刀洗野菜を香港へ売り込む〝ピン芸人〟が、東京逆上陸を仕掛ける
◎ 住民が公務員を育て応援していくことで〝預けたお金〟が生きる

《住む町に誇りを持つ》まちづくりを実践

【画像】大刀洗町 地域振興課長(兼)自治振興係長 村田まみ

南北朝時代、南朝方の武将だった菊池武光が筑後川の戦いに勝利し、自らの太刀を洗った故事を町名の由来とする大刀洗町は筑後平野の北東部、 筑後川の中流域北岸に位置する、農業の盛んな地域だ。
大刀洗町の人口は1万5700人で、福岡市の1/100という規模となるものの、「大刀洗町で開催した50人規模のイベントを福岡市開催に換算した場合、5000人規模のイベントに匹敵する」。大刀洗町の村田まみ地域振興課長は、トレードマークになっているヒョウ柄のファッションを身にまといながら、はつらつとした笑顔で語る。

町の人を 泣くほど 喜ばせたい――。自他共にまちづくりを天職と認める村田課長の仕事は、地域づくりをはじめ、広報、観光、自治会・地域コミュニティと幅広く町民と接している。
≪得意なこと×️社会に良い事×️少しの経済≫を踏まえた〝村田まみ的『町の人』方程式〟を打ち出す村田課長は、「1日1人の『町の人』と友だちになれば、年間出勤日数200日で1年間200人の友だちができ、5年間で1000人になる。これまでの在職29年間で5800人の町の人と友だちになった計算だ」「100の議論よりも1の実践が大事だ」と持論を説く。

「自家用車は軽トラックでいいので、地域にホタルば飛ばしたか!」という男性の夢は、8年掛かりで地域の人たちを巻き込んだ大きな輪となり、町を挙げての『ホタルを育てる地域づくり』として実を結んだ。
一方、「俺が生きている間にバスば走らせちゃる」と、バス路線の無い大刀洗町で暮らす初老の男性が抱いた思いに対しては、ふるさと納税で車両を購入・提供して、町民による無料巡回バスの運行を支援した。今後、運行実績をモデルに町でも事業化について検討している。
「どうしても答えを出すのに時間が掛かってしまうことが多い。あるいは、答えそのものも状況の変化とともに変わってしまうことさえある、それだけに何が原点であり、思いの〝ど真ん中〟が大事になる。それは、町の人たちが《大刀洗という町に誇りを持つ》こと、つまりシビックプライドではないかと考える」と語る村田課長は、自問自答を重ねる。

香港で大刀洗の野菜を売り込み、東京に逆上陸

【画像】大刀洗町 地域振興課長(兼)自治振興係長 村田まみ

自らを〝バブルの残香〟世代と称する村田課長は、「多感な中学・高校時代を過ごして大好きな大刀洗で幼い頃からやっている音楽を続けられる仕事」として選んだのは、高卒で町役場に勤める公務員という職業だった。
入庁後、税務課を振り出しに戸籍・住民基本台帳・外国人登録などを手掛けた後、農業委員会と教育委員会を担当した。その後、手掛けている地域振興やまちづくりの仕事は12年に及ぶ。

まちづくりを担当した当初、全国的に注目を浴びていた福津市津屋崎へ派遣された村田課長は実地での学びを通じて、「できることや思いついたことから片っ端にやってみる」「まず動いてみて、失敗してもいいんだ」と意識を一変させた。
いわゆる〝公務員スパイラル〟から弾けるきっかけとなった。その後、東日本大震災の応援派遣で訪れた東松島市の現場で公務員としての秘めたる可能性を確信した。

大刀洗の特産品は野菜であり、大体の野菜は栽培できる半面、大刀洗でしか採れないというブランド野菜は無かった。
このため、「野菜を名刺代わりに、その先にある可能性をつかんでいく」と考えた村田課長は、「誰にも知られていない町の特産品は県内の特産品の中で埋もれてしまい、センターは取れない。それなら、個性を生かして海外へ出掛けて、〝ピン芸人〟を目指す」と腹をくくる。
最初に目を付けたのは、日本の自治体等連合が事務所を構えていたシンガポールだった。その後、香港へ主戦場を移して大刀洗野菜のPRイベントや香港での朝市などを開催した。
香港での〝村田方程式〟は、1回3人の渡航で1人あたり5人のトモダチをつくる。年4回渡航で60人を3年間続けた結果、香港でのトモダチは180人を数え、うち30人は大刀洗応援大使として活動する。
そして、5つ星ホテルのマンダリンオリエンタル香港のシェフが来町して、食材に大刀洗野菜を採用した。香港での実績を東京向けに発信した話題づくりが奏功して、大刀洗野菜の〝逆輸入〟ブランディングというクリーンヒットを放った。

「生産者にとっては、売れて何んぼだ。一体どれくらいの収入になるのか」――。
八面六臂の活躍をみせる村田課長は、住民からの厳しい指摘を受けたこともあるという。
村田課長は、あいまいになりがちな知名度向上という目標設定から町民の所得向上、まちへの誇りの実感という目標の具体化へ大きく舵を切っていく。

泣くほど喜ばせたい町の人とは……

【画像】大刀洗町 地域振興課長(兼)自治振興係長 村田まみ

野菜は安い上に料理の脇役になりがちなので、何とかお皿の真ん中に野菜を置きたい」と考える村田課長は4年前、夫を伴ったUターン移住を果たした。
これまで当たり前だった風景を海外の目線で見ると、日本の田舎にはハレとケがあり、魅力的だ。
福岡都市圏で学ぶ留学生を対象にホームスティーも仕掛けた結果、3年間で約80人の外国人学生が〝大刀洗暮らし〟を体験した。そして、夏のイベントである『枝豆収穫祭』での外国人観光客の獲得に加えて、香港からのツアー客一行の誘致にも成功した。

「まちづくりにおいて、自分自身が住みたいまちにしていくことは大事であり、≪泣くほど喜ばせたい町の人≫は、私自身でもいいんじゃないか」と気づいた村田課長が将来的な〝野望〟として思い描くのは、心身を浄化させて体内に溜まった毒素を排出していくスパの高級版である『デトックスセンター』づくりだ。
「住民が支払った税金は、いわば託されたお金であり、うまく活用できれば、数倍の価値になって戻すこともできる。そのためにも、公務員をうまく使って、公務員を育て応援していくことは、住民自身にとっても大事ではないか」と考える村田課長は、愛器のホルンを片手にまちづくりへの思いを奏で続ける。

DATA

名 称:大刀洗町役場
住 所:福岡県三井郡大刀洗町大字冨多819
代表者:町長 中山哲志
事 業:地方自治
URLhttps://www.town.tachiarai.fukuoka.jp/

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