【人物図鑑】分野・国境を越え、撮り続けることで本質を追い求める〝考える〟写真家

【画像】おくスタジオ 代表  奥勝浩

おくスタジオ
代表
奥勝浩

【画像】おくスタジオ 代表  奥勝浩
おくスタジオ
代表
奥勝浩

【おく・まさひろ】
1959年8月21日生。福岡市出身。福岡大学法学部卒。大学在学中からプロカメラマンとして活動を始め、1998年に父親から『おくスタジオ』を引き継ぎ、1999年から写真教室を始める。一般向け撮影をはじめ、美術館や美術作家の作品撮影、全国誌や広告・印刷物向け撮影を手掛ける。作品展の開催に加えて、モデルやヘアーメイクアーティストとの共同製作や海外アーティストとのコラボレーションによる作品制作に取り組む。2003年に米ハリウッドで作品展を開催。2005年福岡県西方沖地震で被害記録ともに避難所で被災者に桜を見てもらう『桜プロジェクト』を企画しスライドショーを上映、お礼状用ポストカードを撮影・制作した。写真スタジオの経営と共にイメージラボ写真教室を主宰し、岩田屋コミュニティカレッジ講師も務める。

【3Points of Key Person】

◎カメラマンとして幅広く撮影し、写真館を経営、写真教室を主宰
◎米大学の教授が出版する写真集に収録、米ハリウッドで個展を開催
◎女性美や〝和の世界〟を撮影しながら、本質と普遍性を問い続ける

卒業生2000人、作品志向の〝異色〟写真教室を主宰

卒業生2000人、作品志向の〝異色〟写真教室を主宰

福岡市南区、高宮通りと大池通りが交差する野間四つ角に1軒の写真館が建つ。1階の玄関から足を踏み入れると、受付カウンターが奥に見え、壁面には華やかな記念写真が数多く飾られて、訪れた人々の目を楽しませる

着物をまとって踊るダンサー、白黒のコントラストで表現した女性の脚線美、モノクロの世界からの美女のほほ笑み……、ストロボ撮影用スタジオや室内撮影可能な待合室がある2階フロアに大判のアート作品が並ぶ中、奥勝浩・おくスタジオ代表は、「自分の中にある伝えたいモノ、わかってほしいモノが何かを自ら認識することがスタートだと思う。分からないなら、まず撮ってみる。撮り続けることは考えることであり、作品や個展での展示などを通じて客観的にみえてくる」と、にこやかな表情で自らのこだわりに触れる。

一般顧客向け撮影をはじめ、商品・美術品の撮影、印刷物・雑誌向け撮影なども幅広く手掛ける奥代表は写真教室も主宰し、さらに小学校教科書向けの撮影も担当するなど多彩だ。音楽業界の仕事も多く、数多くのアート作品を生み出してきた2階の撮影スタジオには、藤井郁弥をリードボーカルとするチェッカーズをはじめ、九州地区からプロデビューした歌手やグループも数多く訪れて被写体となった。

「一般的な写真教室がコンテスト入選を目指すのに対して、私の写真教室では自分の作品を展示することを目標にしている」と、作品志向の姿勢を打ち出す奥代表が主宰する教室の卒業生は2000人余りを数える。プロカメラマンも作品づくりを学びに参加するという教室には地元・福岡をはじめ、熊本や長崎、遠く宮崎や広島からも通う。初回から20年以上も通い続ける受講生が3人もいるなど熱心な生徒が多い。月2回・10カ月のカリキュラムでは、ギャラリーでの作品展向けの撮影に加えて、上級クラスでは写真集も制作するなど本格的だ。

学生時代からプロ活動、Eメールが縁で米デビュー

【画像】おくスタジオ 代表 おくスタジオ

 2002年のある日、英文のEメールが突然届いた。メールの主旨はアメリカの大学で写真を教える教授からモノクロ写真集の発行に際し、奥代表の作品を掲載したいとの依頼だった。父から写真館を引き継いだ1998年頃から奥代表は、自作したWebサイトで作品を公開しており、それらを見ての問い合わせてきたのだ。
「最初は疑ってみたが、調べてみると本物だったのでOKしたところ、一気に活動が国境を超えて広がった」と、奥代表は写真集『Black & White Photography: Manifest Visions/An International Collection』を片手に当時を振り返る。

写真集の出版後、米国・サンフランシスコ在住の美術コレクターから作品購入の申し出があり、さらに米国・ハリウッドのギャラリーからは作品展の開催と作家契約の申し出もあった。
その後、韓国・蔚山で開催された国際写真祭においても作品が採用されて、2012年と2013年の作品集に収録されている。また、ソウル、釜山など韓国の主要4都市の写真家、美術団体との交流も続いている。

「写真は面白い。特に人を撮るのは楽しい」と語る奥代表は、子どもの頃から写真や写真集を親しみながら育った。小学校3年生になって父親がカメラを買い与えると早速、社会科見学のバス車内で同級生らを撮影した。
そして、紙焼きプリントをあげて喜ぶ彼らの姿を目にして、カメラマンという職業を意識し始めた。

もっとも、職人気質のカメラマンだった父親は、職業として選ぶことに猛反対だったことで進学先として法学部を選んだ。
在学中、夢をあきらめ切れなかった奥代表は、「将来、プロカメラマンを目指す上で写真学科でなく、法学部だったことは大きなコンプレックスとなった。そこで職業別電話帳をみて、印刷会社やデザイン事務所に電話を掛けまくった」という売り込みの結果、興味を持った大手印刷会社の写真部長が企業の社内報の表紙制作での撮影カメラマンとして起用してくれた。 

「撮影現場でプロカメラマンの仕事振りに触れることができた上に学生だったので、いろいろ教えてもらった。さらに作品づくりでもアドバイスをしてくれた」と、振り返る奥代表は学生時代にプロデビューし、〝就職活動歴ナシ・会社員歴ナシ〟のまま、実家の写真館で働きながら、作品制作にも打ち込んだ。
「もしも普通に写真学科を卒業して、家業を継いだ二代目だったら、いまのように作家活動に力を入れることはなかったと思う」と、奥代表は神妙な表情で語る。

〝和〟をテーマとした作家活動で問う本質と普遍性

【画像】おくスタジオ 代表 おくスタジオ

「米国をはじめ韓国などの海外へ出掛けると、日本のことが気になり、自分が何者なのかについて考える」と明かす奥代表が近年、関心を寄せるのが〝和の世界〟だ。母親が着付け教室の先生だったこともあったこともあり、最近では着物と女性美をテーマにシャッターを切る機会も増えた。

「写真にどっぷり浸かることなく、絵画や音楽など幅広いジャンルに興味を持って活動している」ことを自認する奥代表は、「自分の作品が歴史や文化、習慣の異なる人たちにどのように映るか」「自分の作品は国籍や社会風土などを超えた普遍性を持っているのか」についてカメラを手にしながら問い続ける。

DATA

名 称:おくスタジオ
住 所:福岡市南区野間1-5-24
創 業:1960年10月
代表者:代表 奥勝浩
事 業:写真家、写真スタジオ経営、写真教室運営
URLhttp://www.okustudio.jp/

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