【人物図鑑】〝伝説のプランナー〟の生き方に学ぶマーケティングの現在・過去・未来

【画像】中村修治

有限会社ペーパーカンパニー 代表取締役社長  
中村修治


有限会社ペーパーカンパニー 
代表取締役社長  
中村修治

【なかむら・しゅうじ】
1962年生、滋賀県彦根市出身、立命館大学経済学部卒。大手プロダクションに勤務して1989年に来福。1994年に福岡初の本格的な企画会社としてペーパーカンパニーを設立した。年間150本~200本もの企画書を書き続けて、〝全身プランナー〟と覚醒して、「福岡最古にして未だ最前線の戦略プランナー」といわれた。2006年に関連会社として、福岡初の戦略的PR会社・キナックスホールディングを立ち上げた。現在、多種多様な企業の顧問や福岡大学非常勤講師も務める一方、facebookでは毎月1万5000以上の『いいね!』をコンスタントに獲得する。

【3Point of Key Person】

◎伝説のプランナーから顧問業へのマーケッター的な進化形
◎作家志望の青年は、伝説のプランナーを経てコラムニストへ
◎クラウドファンディングで日本初の視聴者参加型TV番組を

伝説のプランナー〟中村修治氏の驚くべき〝転身〟

長年、〝福岡最古にして未だ最前線の戦略プランナー〟といわれてきた中村修治・有限会社ペーパーカンパニー代表取締役社長は、平成から(新元号)へ移り変わる時世を迎え、〝作戦屋〟の顔をもつ顧問として活躍する。

「不動産バブル期に、その泡に乗って福岡へやって来た私は1994年に独立して以降、携帯電話の普及にともなう通信バブルや、その後に起きた通販バブルも経験した」とする中村代表は最盛期、年間200本もの企画書を書きまくって、企画書一本で四半世紀も生業としてきた福岡でも〝伝説のプランナー〟だ。

当の中村代表は現在、「たまに依頼があるとき以外、ほとんど企画書を書くことは無くなった」という意外な状況だ。もっとも中村代表によると、「マーケティングスタイル自体が、以前のBtoB(企業対企業)からBtoC(企業対個人)へ移行し、今後CtoC(個人対個人)が主流になっていく状況下、プランナーから〝作戦屋〟的な顧問業になるのは、マーケッターとして正常な進化形」との見方を示す。

不動産バブルや通信バブルの頃は、BtoBによるマスマーケティングの時代だった。その後の通販バブルでは、通販会社との直取引によって通販会社サイトから消費者と向き合うBtoCの立ち位置で文字通りのダイレクトマーケテイングを実体験した。

そして、facebookに代表されるソーシャルネットワークサービスが普及した今日、マーケティングの主導権が企業からユーザーへ移っていき、CtoCが中心としたファンベースマーケティングへと進化していくというのが中村代表の持論だ。
facebookフォロワー約1万人、累計『いいね』約100万を誇る中村代表は毎朝、インターネット上で見つけた画像やイラストなどをヒントに自らの言葉を添えた投稿を2本ずつアップし続ける。

「長年のプランナー経験から人間は斬新なモノよりも既存のモノに角度をつけることで110%~120%に見せられた方がウケも良く、採用されやすい。つまり、面白い視点や切り口、編集の仕方こそが作戦屋として腕の見せ所だ」と説く。
中村代表にとって、facebookへの投稿における『いいね』の動向そのものが、CtoC主体のファンベースマーケティングに向けた試金石の一つになっている。

作家志望の文学青年⇒プランナー⇒コラムニストの進化形

JR博多駅に誕生した新駅ビル『博多シティ』のネーミングやデザイン、TVQ九州放送のCI導入にともなうテレQロゴデザイン、北九州博覧祭での九州郵政局パビリオン企画、地場会社の企業ブランド戦略、地方自治体の都市ブランド企画……。
これまで中村代表の手によって生み出された企画書の数々は、さまざまなカタチとなって世の中に登場してきた。

中村代表が独立したのは1994年。パソコン用基本ソフト(OS)であるWindows95が登場した1995年の前年であり、インターネット前夜ともいえる時期だった。
「創業した時代が良くて、先行者メリットがあったと思う。当時は、Macの出始めた頃で企画書などをお洒落に格好よく作れる技術だけで食えたので、私が独立できたのはスティーブ・ジョブスのお陰だと思う」と、中村代表は笑顔をみせる。

おまえらいつまで意味のあるプレゼンやってんだよ?――。
一世を風靡したプレゼンイベントであるTEDに対抗して、中村代表らが企画したイベントが、2016年5月開催の《中村修治》のラストプレゼンです!と銘打った『PED×Hakata』だった。
開催当日、入場料3000円を払って詰めかけた250人の観客を前にして、舞台へ上がった中村代表の胸にはこみあげてくるものがあったという。

意外な感はあるものの、中村代表はもともと小説家志望だった。大学時代に1本の小説も書くことなく社会人となった。就職先では当初、営業職としての採用だったものの、プランナー出身の副社長がプランナー職への転換に尽力してくれた。
プランナー・中村修治の生みの親ともいえる副社長が小説家然と、ホテルに缶詰めになって企画書を手書きする姿をみて、中村代表は深い感銘を受けたという。

起承転結による訴求スタイル、多彩なテーマに対応した幅広い引き出し、落としどころとなるポイント探し……。
「人を説得して動かしていくために書いてきた企画書のスキルやノウハウを書き言葉へ応用・進化していく」ことで数々の人気コラムを執筆する中村代表の目には、元文学青年のまなざしが宿る。

日本初の視聴者参加型CFによるテレビ番組づくりを画策

いま、中村代表はテレQとの縁もあって、日本で初めてのクラウドファンディング(CF)によるテレビ番組の企画・制作に挑む。
「深夜帯放送をはじめとするテレビ番組もみんなでつくれる時代になった。新たなマーケティングのスタイルとして、ファンベースマーケティングが成立していくかどうかを実証していくための一世一代のプロジェクトでもあり、還暦までの人生を賭けていく」と、中村代表は宣言する。

具体的には、現在50人規模で立ち上がった中村代表のファンクラブともいえる『中村修治“FUKUOKA”企画部』をベースにして、企業によるエンジェル投資とファンクラブ形式のクラウドファンディングを活用すえることで『夢を叶えるクラファン1000人会議』へ発展させながら、日本初の試みを実現していく計画だ。

現在、中村代表は1000人会議へのキーパーソン入会を目指して紹介先をリレー方式で訪ね歩いて勧誘する、『笑っていいとも』テレフォンショッキングの逆バージョンをYouTube動画として毎週、流している。最終的な訪問先の目標はタモリだ。

中村代表は、涌くがごとく出てくるアイデアや斬新なセンス、あふれんばかりの行動力の源泉としては、「自分が動いていないとダメ人間になってしまうのではないかという不安や強迫観念がある」と告白する。
そして、長年もがいてきた経験から見出した真実の一つとして、「面白いことしか長続きしない」とする中村代表はイタズラぽい表情をみせながらも止まることなく駆け抜けていく。

DATA

名 称:有限会社ペーパーカンパニー
住 所:福岡市中央区大名2-2-1
代表者:代表取締役社長 中村修治
事 業:顧問業、企画業
URL:http://nakamurasyuji.com/

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