【人物図鑑】IT分野における障がい者雇用の新事業モデルで地域社会に貢献する

【画像】賀村研@ふくおか人物図鑑

株式会社カムラック
代表取締役
賀村研

【画像】賀村研@ふくおか人物図鑑
株式会社カムラック
代表取締役
賀村研

【かむら・けん】
愛媛県伊予郡砥部町出身、1972年生、新田高校卒~日本大学農獣医学部卒。1995年三菱建設株式会社に入社、2000年に東京本社のシステム開発会社、ハミングヘッズ株式会社に転じた。2010年に福岡本社のIT企業である株式会社ビー・エス・エスに入社。2012年教育サービス系プロバイダーのナレッジサーブ株式会社に転職後、2013年に株式会社ビー・エス・エスに再入社。同年10月に株式会社カムラックを設立して代表取締役に就任。2015年株式会社 else ifを設立して取締役会長、2016年株式会社スーパーカムラックを設立して代表取締役に就任した。このほか、株式会社フロイデカムラック代表取締役社長、FUTUREE ENTERPRISE株式会社取締役、一般社団法人障害者雇用基準認定協会代表理事、アイドル九州プロジェクト後援会会長、永野明後援会会長、一般社団法人中小企業事業推進機構理事、一般社団法人未来アスリート発掘・スポーツ推進協会理事などを務める。

【3Points of Key Person】

◎IT分野における障がい者の雇用拡大で高い評価を得る
◎ゼネコン出身でITの営業を手掛けて、障がい者雇用を知る
◎福岡生まれの障がい者雇用のロールモデルを全国に広める

IT分野での障がい者の雇用拡大で高い評価、経営賞を受賞

【画像】カムラック@ふくおか人物図鑑

『令和元年版 障害者白書』(2019年6月内閣府発行)によると、身体障害者・同児は436万人、知的障害者・同児は108万2000人、精神障害者は419万3000人だった。日本人の実に7.6%が、何らかの障害を負っていることになる。

障がい者の日常生活や社会生活を支援する『障害者総合支援法』に基づき、介護給付や訓練等給付、地域生活支援事業、相談支援事業などが提供されている。
訓練等給付のうち、一般企業での就労が困難な人たちに働く場や知識・能力の向上訓練を行う障がい者就労継続支援A型(=雇用型)事業を手掛ける株式会社カムラックの賀村研代表取締役は、「障がい者がWebデザイナーやプログラマー、コーダー、Webサイトやアプリケーションの検証作業担当者として、システム開発会社やWeb・アプリ制作会社と協業できるレベルの仕事をしている」と語る。

現状、障がい者福祉の就労分野において、単純作業や軽作業が多い傾向がある。数少ないIT系の就労継続支援事業を手掛ける賀村代表は、「福祉の世界しか知らない人だけでやると、どうしても単調・単純な仕事になりがちだ。他業界から福祉分野へ入ってきたケースでは、仕事を管理するプロジェクトマネジャーにプロフェッショナルを起用するなどの取り組みで事業所を活性化させるだけでなく、就労継続支援事業においても大きな成果を上げている」と解説する。

現在、カムラックグループの従業員100人のうち約6割が障がい者だ。彼らは健常者に匹敵するスキルを持ち、健常者に準じた労働時間で働き、健常者と同じ健康保険証を持つ。待遇面でも通常の就労継続支援事業平均の約1.5~3倍の報酬を得ている。
一連の取り組みは社会的にも高い評価を得て2019年5月、『福岡ひびき経営者賞』をソーシャルビジネス部門で受賞した。

騎手を夢見た少年は国体出場、いまIT業界を駆け抜ける

多感な中学時代と競馬ブームと重なった賀村少年は、競馬の騎手を目指して自宅近くの乗馬クラブに半ば住み込む毎日だった。
悲願の競馬学校受験は最終選考で落選したものの、進学先の高校で京都国体と北海道国体に愛媛県代表として出場した。そして、特待生として日本大学農獣医学部にセレクション入学した後、馬術部の部員として手綱を握る日々を送った。

就職先に財閥系のゼネコンを選んだ賀村代表は、東京での社会人生活が夢だった。しかし、研修後の配属先は、縁もゆかりもない福岡だった。
初任地である福岡の気質や風土とウマがあった賀村代表だったが、「業界の先行きが厳しい中、当時伸び盛りのIT産業に注目して、アスキー創業者の西和彦氏が顧問だったITベンチャー会社に丁稚奉公の覚悟で入社した」ことがITとの出会いとなった。

入社後、異業種からの転身でもあり、ITの営業では苦労も多かった。
その後、折からのネットバブルという追い風もあり、さらに自社で開発した情報セキュリティのパッケージ商品の大ヒットしたことで営業責任者だった賀村代表自身の年間売上高は5億円、営業チーム全体の売上高で約20億円という驚異的な実績を上げた。
その一方で子どもの誕生がきっかけとなって、かつて賀村代表が勤務し、夫人の郷里だった福岡へのIターンを決断した。
福岡移住で地元IT業界への転職を試みたが、「地方での就職の厳しさに加えて、東京と福岡でのIT産業の構造的な違いに苦労した。東京では顧客向けに設計提案していく営業スタイルだったが、福岡も含めた地方都市は下請け的な下位の業務が大半を占めるという課題もあって、気持ち的にへこみ、心が折れることも多かった」と賀村代表は振り返る。

新天地となった福岡のIT企業において、賀村代表が取り組んだ新規事業は新たな人材層の開拓だった。
折からの人材不足への対応として、子育て中の主婦らのテレワーク採用や定年退職したベテランプログラマーやシニアエンジニアの活用などの新たな雇用手法に取り組む中で出会ったのが、障がい者の潜在能力の活用だった。
そして、勤務先のIT企業と就労継続支援A型事業のコラボレーションによる新たな事業モデルを企画したが、社内稟議で却下された賀村代表は独立を決断した。
就労継続支援A型事業所としてカムラックを創業した賀村代表は、システム開発のプロフェッショナルを集めて設立したシステム開発会社である株式会社 else ifとの組み合わせで自らのビジネスモデルによる好循環を実現して、今日に至る。

福岡から障がい者雇用のロールモデルを九州、全国へ広げる

「商品と顧客を持った企業と就労継続支援A型事業所とのビジネスモデルは、いろいろな業種や業態でも活用できる。《障がいのある人たちも活躍できる》という事実を伝えていくことでビジネスパートナーを増やしていくことで地域経済も活性化していく。そして、福岡で誕生したITを用いたA 型事業所のロールモデルとして、九州、そして全国各地へ広げていきい」と、思いを膨らませる賀村代表が手掛けた商品の一つがご当地アイドルだ。
福岡県を拠点に九州地域で活動している女性ローカルアイドルグループ『LinQ』を擁する芸能プロダクション事務所の株式会社ジョブ・ネットとカムラックは提携してアイドル商品の受発注やホームページ運営などのバックヤード業務を担当する。

「ITで柔軟な働き方ができる世の中になった。ITの仕事を覚えたら、障がい者でも活躍できるので私自身は、障がい者を障がい者と思っておらず、重要な会社の戦力と考えている」とする賀村代表は相好を崩す。
社名のカムラックは自らの名字にちなむ一方、英語のCome Luckを掛けた名前だ。「まずはカムラックのことを知ってほしい。カムラックに来て、カムラックを見て、カムラックで感じてほしい」とにこやかな表情をみせる賀村代表は、疾風怒濤の日々を駆け抜ける。

DATA

名 称:株式会社 カムラック
住 所:福岡市博多区千代4-1-33 西鉄千代県庁口ビル 3F
設 立:2013年10月25日
代表者:代表取締役 賀村研
事 業:障がい者就労継続支援A型事業・就労移行支援事業(ホームページ作成、プログラム開発、データ入力やテスターなど)
URLhttps://www.comeluck.jp/

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