【人物図鑑】〝妊活〟で人生自体が変わり、青汁の開発・普及をライフワークとする
株式会社ウイッツジャパン
代表取締役
長谷川幸二
【はせがわ・こうじ】
1970年2月8日生、名古屋市出身、広島県立広島商業高校卒。卒業後、フリーターを経て、1989年1月株式会社日本テクノスに入社、株式会社日立製作所に出向し、SEとして勤務、1995年4月に福岡支店へ現地責任者として赴任。1996年6月同社を退職。1997年5月株式会社サンクスメディアサービスを設立して、代表取締役に就任。1999年11月株式会社ウイッツジャパンに社名変更。趣味はゴルフ、ダイビング。
【3Points of Key Person】
◎〝妊活〟夫婦向け青汁の開発・販売と医療・福祉介護向けWeb事業
◎フリーターを経て人材派遣会社の猛烈営業マン、上司とのけんかで起業
◎子どもの頃の夢はアイドルタレントで、格好良い生き方にこだわる
妊活〟夫婦向けに〝異色〟の青汁を開発・販売
「いま、私自身のライフワークとして、妊活をしている夫婦向けに商品開発した青汁の普及に努めている」とする、株式会社ウイッツジャパンの長谷川幸代表取締役は、「〝子どもが欲しった〟ので、自分用に開発したところ、早速息子を授かった」と、自社商品である『大人の青汁』を片手に目を細める。
再婚しての婚活経験を通じて、男性にも不妊要因があることを知った長谷川代表は、20年以上の実績と経験を持つ女性不妊カウンセラーと長年サプリメント開発を手掛ける男性妊活アドバイザの監修で商品化したのが、『大人の青汁』だ。
同商品は、妊活時の摂取で有用とされる葉酸やビタミンD、ミネラル、細胞内のミトコンドリアに必要な成分であるコエンザイムQ10やL-カルニチンなどを含有する。
男性も一緒に、夫婦で妊活していく実証研究を通じて、通常のサプリメントやドリンクタイプではなく、青汁タイプが男性にとって続けやすいという結果を得た。
この点を踏まえた〝妊活青汁〟の商品開発と通販・卸売を手掛ける同社は1990年代末に医療・介護業界向けに広報用Webサイトを開設した。以来、医療・介護系のWebサイトの制作や運営などの広告・広報業務を手掛ける。
「これらの医療系のネットワークも妊活青汁の開発に生きた」と、長谷川代表は健やかな表情で語る。
春・夏の甲子園に応援団出場、上司と大げんかで創業
甲子園出場44回・優勝7回の名門・広商――。高校野球の強豪校として知られる広島県立広島商業高校に長谷川代表が在籍した3年間でも1987年の第59回高等学校野球大会(春のセンバツ)、1987年の第69回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)と1988年の第70回同大会に出場した。そして、第70回大会では、優勝を成し遂げている。
高校時代、バレーボール部との掛け持ちで応援団にも所属していた長谷川代表は甲子園のスタンドからグラウンドの選手らにエールを送った。
高校卒業の前日まで補講を受けていたという長谷川代表は、文字通りギリギリでの卒業だったため、進学も就職も未定のままでフリーターとして社会へ踏み出した。
1989年1月人材派遣業・有料職業紹介業・製造業務請負業の株式会社日本テクノスに入社した長谷川代表は日立製作所に出向して、2次元CADソフトウェアや大型卓上編集システムを開発するSE(システムエンジニア)として勤務した。
1995年、25歳の時に現地責任者として、福岡に赴任した長谷川代表は、「若かったたこともあって、自信満々だった」「子どもの頃、お金で苦労していたこともあって、お金への執着心が強く、〝お金を稼ぎたい〟〝早く出世したい〟という気持ちが強かった」と振り返る。
就任早々、地場大手企業の新規営業開拓をはじめ大いに営業実績を上げたが、直属の上司がこれらを横盗りして自分の手柄にしてしまう。
「上司と大げんかして、会社を辞めての独立だったので、熱い思いや情熱などを持ち合わせることなく商売を始めた」と、長谷川代表は創業の経緯を明かす。
高校卒業時と同様に路頭に投げ出された長谷川代表は、退職のあいさつで出掛けた先の日立系家電販売会社から日立製パソコンの販売応援を依頼された。
当時、日立製のパソコンはマイナーな存在だったが、長谷川代表は店頭に立って来店客向けにスペックではなく、便利な家計簿機能をはじめとするパソコンの活用法を説明すると、飛ぶように売れた。
そして、メーカー別売り上げで首位になった実績もあって、学生をアルバイト販売員として採用・教育して販売現場へ送り込んだ。
その後、高額な日立製の動画カメラの販売を相談された長谷川代表は、簡単なWebサイトと問い合わせフォームによるインターネット通信販売を試みると、即完売して、「インターネットは面白いと思って、Webの世界へ足を踏み入れた」。
1999年にいち早く医療・介護福祉系のポータルサイトを立ち上げた。当初、バナー広告収入を主体としていたものの、大手メーカー系の医療・福祉介護分野への進出に伴って、Webサイト制作も手掛け始めた。一時期は従業員数で100人を超えて、売上高も10億円を突破するなど躍進する新興企業として注目された時期もあった。
「自らの経験と実績で《営業は結果がすべて》《結果は数字に表れる》という価値観だったので、結果的パワハラ体質があったと思う」と、自らを振り返る長谷川社長は子どもの誕生と人との出会いで人生が大きく変わったという。「最近の気づきは、パワハラやセクハラ、マタハラなどのハラスメント問題は自分自身の経験不足や相手への理解不足で起きることだ。自分だけの経験や価値観を相手に押し付けることなく、相手のことをよく知って、相手と同じ経験をしていくことで相手を理解することが大事だと悟った」
と、長谷川代表は自戒する。
元アイドル志望が気づいた、格好良さの源泉とは
子どもの頃に長谷川代表が抱いていた夢は、アイドルタレントになることだった。ジャニーズ世代でもある長谷川代表は、《家が貧乏だから、アイドルになれないと諦めた》という経験をもつ。
「お金の問題で自分の夢を諦めることは、本当にむなしい。だから、若い頃からお金に執着して生きてきたが、いまお金が無くても幸せな人生があることを知った。そして過去、貧乏を言い訳にして、夢にチャレンジしなかったのは自分自身だと気づいた」と、長谷川代表は謙虚に語る。
「最近、お金よりも格好良さが大事」「アイドルに憧れたのは、何事にもチャレンジしていく姿勢が格好良かったからだ」と考える長谷川代表は尊敬する人物として、吉本興業のマネジャーだった大谷由里子さんの名前を挙げる。
「器の大きい大谷さんのように、いろいろな人たちに希望を与え、感動を呼び起こしていきたい」とする。
そして、「《ありがとう》という言葉を素直に言えるようになったいま、これまで窮地を幾度も助けてもらった方々をはじめ、いろいろな人たちに〝恩返し〟〝恩送り〟をしていきたい」と、はつらつとした表情をみせる長谷川代表は先日、SDGs講師やモデルなど本業外の全報酬を被災地復興へ寄付した。
「チャレンジしていること自体が格好良いことであり、自分の子どもにもチャレンジする父親の背中を見せていきたい」と、長谷川代表は意欲的だ。
かつてアイドルタレントを夢見ていた少年は、甲子園決勝戦での応援団を務め、猛烈営業のサラリーマンを経て、営業至上主義の経営者として事業拡大を図った末、ライフワークと出会って子どもにも恵まれて、いま新たな人生へ歩み出す。
DATA
名 称:株式会社ウイッツジャパン
住 所:福岡市博多区博多駅前3-18-8 ブルク博多駅前5階
設 立:1999年11月
代表者:代表取締役 長谷川幸二
事 業:不妊や妊活に関する情報提供、妊活・健康関連商品の販売、病院・医療機関・薬局・福祉関係の情報サイトの運営
URL:https://www.aojirushop.com/
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