【人物図鑑】「九州ば元気にするバイ!」、NPOプロレス団体が地域おこしでタッグを組む

【画像】 NPO法人九州プロレス 理事長 筑前りょう太

NPO法人九州プロレス
理事長
筑前りょう太

【画像】 NPO法人九州プロレス 理事長 筑前りょう太
NPO法人九州プロレス
理事長
筑前りょう太

【ちくぜん・りょうた】
1973年2月24日生、福岡県粕屋郡志免町出身、本名:椎葉亮司。小学校3年生の時に初代タイガーマスクに憧れてプロレスラー好きになる。九州産業大学在学中に学生プロレスを始める。大卒後、土木工事などのアルバイトで稼いだ渡航費でメキシコへ渡る。1998年1月、メキシコで覆面レスラー『SHIIBA』としてデビュー。 2002年8月、新日本プロレスで覆面レスラー『魔界2号』として参戦。2007年10月、プロレス業界初のNPO法人ロレス団体として九州プロレスが認証される。2008年7月に西鉄ホールで旗揚げ戦を開催。好きな言葉は「九州ば元気にするバイ!」。

【3Points of Key Person】

NPO法人としてプロレス団体を立ち上げ、地域おこしに取り組む
◎ 小3年でプロレスに目覚めてメキシコ、全日プロ、新日プロなどで歴戦
◎ 九州プロレス20周年の2008年にPayPayドームで記念大会を開催

日本初のNPOプロレス団体として九州の地に誕生

【画像 NPO法人九州プロレス 理事長 筑前りょう太

「九州ば元気にするバイ!」━━。
《プロレスによる地域おこし》をミッションに掲げる『九州プロレス』は2007 年10 月、プロレス団体で日本初のNPO 法人として発足した。そして翌2008年7月、西鉄ホールでの旗揚げ戦で産声を上げた。

「地元・九州で生まれ育ち、プロレスラーとしてメキシコでデビューした後、関東のプロレス団体に所属して全国各地を試合で回る中、《故郷・九州でプロレスを通じて恩返しをしたい》という気持ちが高まった。いま、プロレスを通じて、たくさんの笑顔をつくっていくことで九州の人たちに元気を届けたいとの思いで活動をしている」。
NPO法人九州プロレス理事長であり、看板レスラーでもある筑前りょう太さんは力強く語る。

九州プロレスでは週末、〝地域おこし〟としてのプロレスの興行試合を地元企業などからの協賛を得て、地域の住民を招待して開催している。
一方、平日には『先輩ば元気にするばい慰問ツアー』と称した高齢者施設への訪問活動も協賛企業などの支援を受けて訪問施設数は累計で1700施設にもおよぶ。
また、不登校児らを対象にした青少年健全育成活動、さらに学校へ出向いての講演活動にも力を注ぐ。

「レスラーが発する元気を本当に求めている人は、プロレス会場に来られない人たちではないかと思ったそして、会場へ来られないなら、《われわれの方から出向いて元気を届けよう》と始めた活動が施設訪問になっている」ことを明かす筑前理事長は、「高齢者施設への訪問では日本を、そして九州の礎を築いてくれた大先輩への感謝の気持ち抱いて訪ねている。元気を届けるつもりが、逆に元気をもらうことも多く、リンク上のファイターと現場でのファイター同士による元気の交換になることも多い」と、はつらつとした笑顔をみせる。

タイガーマスクにあこがれてメキシコで武者修行

【画像 NPO法人九州プロレス 理事長 筑前りょう太

身長180センチ・体重100キロの鍛え上げられた体に『博多にわか』のマスクをつけた〝ご当地レスラー〟として知られる筑前理事長にとって、プロレスラーを志すきっかけは、『タイガーマスク』だった。

小学校3年生の時、プロレス好きだった父が毎週視聴するテレビ番組でタイガーマスクVSダイナマイト・キッド戦を見て、一気に魅了された。
以降、プロレス漬けの日々になり、学校でもプロレスごっこに夢中だった。
そんなある日、「プロレスをやるなら、きちんとしたプロレスの試合をやろう」と考えた筑前少年は、小学生ながら、プロレス団体を立ち上げた。そして、観戦前売りチケットやパンフレットなども作成して興行を実現させたことでプロレスラーへ一歩近づいた気がした。

 中学校時代までは小柄な体形だったものの、高校に入って一気に身長が30センチも伸びて180センチになった。そして、進学した九州産業大学でプロレス研究会(現プロレス研究部)の門を叩いた。実際に四角いマットのリングに上がる一方、日々のトレーニングを重ねていく中で本格的にプロレスラーになることを決意した。

「タイガーマスクの原点であるメキシコでプロレスラーとしての第一歩を踏み出そう」と考えた筑前理事長は日々、練習しながら、渡航費を稼ぎために土木工事などのアルバイトを始め、夜はお店でのけんかを仲裁する用心棒役も務めた。
大学卒業後の1997年8月に渡航したメキシコでは、プロレスは一つの文化として人々の日常生活に溶け込んでいた。現地では当時、メキシコプロレス界の第一人者であり、『UWAの帝王』と呼ばれたカネックに師事した。
プロレスラーとしてのデビュー戦は1998年1月、覆面レスラー『SHIIBA』としてリングに上がった。そして、迎えた対戦相手は、子どもの頃から憧れていたミル・マスカラスだった。

その後、日本人悪役レスラーとして人気を博して毎週、現地の国営テレビ放送で試合が放映されていた。「現地では、お金持ちの娯楽がサッカーだった。これに対して、そうでない人たちにとっての娯楽がプロレスであり、派手なマスクをした覆面レスラーが好まれていた。娯楽としてのプロレスを通じて、彼ら自身の人生や自らの存在を肯定していることをリンク上でも感じてり、メキシコ人が持つ愛国心の強さも実感した」と、筑前理事長は当時を振り返る。
もっとも、面白味の無い試合をした結果、半年間干された経験を持つ筑前理事長は、「1試合1試合の大切さを痛切に知った。期待している人たちを裏切るようなことは絶対できないということを痛感した」と、大きな教訓になっている。

2000年7月の帰国後、全日本プロレス日本武道館大会に出場して凱旋帰国第1戦として華々しく打ち出したものの、不発に終わった。その後マイナーなプロレス団体への出場やアルバイト生活で不遇の日々を過ごした。
2002年4月、千葉県のプロレス団体『KAIENTAI DOJO』に入団し、リングネームを『筑前りょう太』に改名する。そして、新日本プロレスで活動するユニット『魔界倶楽部』に加入して、覆面レスラー『魔界2号』としてレギュラー参戦を果たした。
いろいろな紆余曲折を経た後、筑前理事長が帰郷して立ち上げたのが九州プロレスだった。

「感動や元気、勇気を与えるプロレスは地域の誇り」

【画像 NPO法人九州プロレス 理事長 筑前りょう太

「見て楽しんでもらうことがプロスポーツであり、特にプロレスは見に来た人たちを大切にしており、結果よりも過程を大事にしている。プロレスは戦う姿勢を見せることで人々に感動や元気、勇気を与え、誰にでもわかりやすい勝敗や技、試合展開を通じてみんなで楽しむことができる」と筑前理事長は力説する。
「プロレスを地域の祭りにしていきたい。地元企業をはじめ地域の力でプロレスを開催できたら、自分たちが暮らす地域に対して誇りをもって語れるようになり、さらに素晴らしい地域になっていく」と、自信を持って語る筑前理事長は九州プロレス旗揚げ20周年の2028年に福岡PayPayドームでの記念大会の開催を宣言している。
新たな挑戦に向けたゴングがいま、高々と鳴り響いている。

DATA

名 称:NPO法人九州プロレス
住 所:福岡市東区多の津5-20-1-3F
設 立:2007年10月16日(NPO認証)
代表者:理事長  筑前りょう太
事 業:スポーツ・芸能(プロレス)の振興を通じたまちづくり活動
URLhttps://www.kyushu-pro-wrestling.com/

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