【人物図鑑】〝まじめで厳しい〟大人の英語学校の原点は、米国と北海道の牧場にあった

【画像】福岡コミュニケーションセンター 代表 赤峰美則

福岡コミュニケーションセンター
代表
赤峰美則

福岡コミュニケーションセンター
代表
赤峰美則

【あかみね・みのり】
1949年1月8日生、大分県九重町出身、大分県立森高校(現大分県立玖珠美山高校)。酪農を営む農家に生まれて、1970年に渡米して、ネブラスカ大学農学部やワシントン州の開拓牧場で2年間の国費留学を経験。1974年英会話教材の外資系販売会社に入社。大分営業所、鹿児島営業所、北九州営業所に勤務した後、1980年に同社の代理店を大分市内に開設。1984年9月、社会人向けの英語学校として『福岡コミュニケーションセンター』を開校して、代表に就任。趣味は鉛筆画。

【3Points of Key Person】

◎福岡で最も業歴が長い、まじめで厳しい〝大人〟の英語学校を経営
◎ 酪農農家に生まれて国費で米農業留学、英語教材販売を経て開校
◎ 英語学校としての〝いい土壌〟づくりにこだわり、穴を掘り続ける

福岡で最も業歴が長い〝大人〟の英語学校

【画像】福岡コミュニケーションセンター 代表 赤峰美則

日本の語学ビジネス市場は事業者売上高ベースで8762億円―-。矢野経済研究所は2020年11月、国内の外国語学習に関わるビジネス活動の調査結果に基づく2019年度の市場規模を発表した。
語学ビジネス市場のうち、半額近い3501億円を語学スクールが占め、うち社会人向け外国語教室は2030億円となり、一大市場だ。

「福岡で最も業歴が長い〝大人〟の英語学校」と自校を紹介する福岡コミュニケーションセンターの赤峰美則代表は英会話スクールでなく、英語学校にこだわる。
同校では開校以来、国際的な英語検定であるTOEICを英語力の目安として採用し、入校時にTOEIC模試とインタビューで各自の学力に応じた受講クラスにおいて、聞く・話す・読む・書く・文法の4分野から体系的に学んでいく。

「単に英会話を教えるのではなく、〝まじめで厳しい〟学校として、熱心な受講生によって培われた良い環境が、英語力向上の上で良い影響を与えている」と実直に語る赤峰代表は、「英会話しかできない外国人講師が多い中、読み・書き・文法ができる優秀な講師の確保に努めている」と、真摯な姿勢を崩さない。
同校の名物は、受講生が毎週書き続ける『英語日記』だ。無料添削の英語日記は、講師からの提案で20年前から始まり、着実な英語力習得を下支えしているという。

基礎から学び直して海外を飛び回る経営コンサルタントや、早期退職後の50歳で入校して通訳の国家試験に合格した元県庁職員に限らず、英検一級合格者や海外駐在者、海外留学生、さらに初心者で入校してTOEIC900点台を獲得した受講生も誕生した。
中には、卒業生の子どもが入校したことで親子二代での受講となった例もある。

米農業留学、英語教材販売を経て本物の教育に挑む

【画像】福岡コミュニケーションセンター 代表 赤峰美則

「実家は酪農農家であり、牧場をつくるのが夢だった」ことを明かす赤峰代表は19歳の時、北海道・江別にある町村牧場に創業者の町村敬貴氏を訪ねた。
《いい土をつくると、いい草が生えて、良い牛が育つ》ことを学んだ赤峰代表は、アメリカへの酪農留学の思いを強くした。
そして、国費による米国農業留学制度を知った赤峰代表は、まったく英語ができなかったにもかかわらず、一念発起して中学校の英語教科書を猛勉強した結果、留学生に選ばれて渡米することができた。

アメリカ留学では、ネブラスカ大学農学部などで半年間学び、その後ワシントン州の牧場での研修だった。
大学では、「チャンスはピンチの中にある」を口癖に豚の精子を研究する元農協職員と一緒だった。
そして、貧乏学生だった彼は大学の学生食堂で結婚式を挙げると、赤峰代表も参列した。
その後、彼は政治学を学ぶためにハーバード大学へ進学し、東京大学教授も務めた蒲島郁夫熊本県知事その人だった。

研修先の牧場で「夢は実現する」「高い夢ほど、実現時の喜びは大きい」ことも教えられた赤峰代表は帰国後、いくつかの事情が重なって牧場経営を断念した。
「学歴が無いので、実力主義の世界へ進もう」と、決意した赤峰代表が選んだのは、英会話カセット教材の販売だった。地元の大分営業所で歩合制営業マンになった当初、口下手な赤峰代表はまったく売れなかった。
しかし、当時手付かずだった農村を回ると、農業に詳しい赤峰代表への反応は良かった。
そこで、「農業で成功するためには、英語を学ぶことで新しい発想が生まれる」と、売り方を替えると、飛ぶように売れていく。そして、農村市場は赤峰代表の金城湯池となった。

その後、鹿児島営業所、北九州営業所での勤務を経て大分市内の自宅を事務所に代理店として独立した。最盛期は歩合制営業マン50人を抱えるまでになったが、売りっ放しの営業スタイルになじめず、知人と大分市内で英会話スクールを開校した。
英会話スクール自体は順調に事業を拡大したものの、社長である友人の激しい公私混同振りに我慢できなくなった赤峰代表は、10年一区切りに経営から身を引いた。
「開拓者になって学校をつくろう」との思いを抱いた赤峰代表は、あえて友人知人のいない福岡へ来て、福岡コミュニケーションセンターを立ち上げた。

「英語を習う人の気持ちを大切にする学校をつくろうと決心して、いろいろな種蒔きを始めたものの、収穫できて学校運営が軌道に乗るまでに実に15年もの時間を要した」ことを赤峰代表は振り返る。この間、高校の英語教師や大手英会話スクールの講師らも入学するなど、教育プログラムに対する自信はあったものの、肝心の募集パンフレットによる集客効果は皆無だった。
ある早朝勉強会で個性的な広告コンサルタントと出会って、パンフレット制作を一任して依頼した。すると、納品された印刷物には、「バカな英会話学校」という文字がデカデカと書かれていた。
知的な仕事をしているという自負のあった赤峰代表は当初、強い抵抗を感じたものの、《バカ正直の馬鹿》だと納得して使い始めると、で受講生が一気に増えて、「長く真っ暗闇なトンネルから抜け出すことができた」

英語学校としての〝いい土壌〟づくりに打ち込む

【画像】福岡コミュニケーションセンター 代表 赤峰美則

「海外へ行っても、身を入れてやらないと言語は身に付かない。ましてや日本において、英語を習得することは並大抵のことではない」と、厳しい表情をみせる赤峰代表は、開校して間もない頃に教えられた、《穴は深く掘れ。直径は自ずから広がる⦆との言葉を胸に刻み続ける。

「英語学校としての穴を深く掘り続けて、内容を充実させることで、もっと多くの方々から支持をされる。その結果として、大きくなればいい」とする赤峰代表はチェーン展開を否定して、福岡に根ざした単独校を貫いていく考えだ。

「かつて学んだ北海道とアメリカの牧場で二人の老牧場主から直接、教わったことの共通点は、《いい土壌をつくる》ことだった。英語学校における、いい土壌を考えると、人に行き着く」「人生を賭けて学校づくりに取り組んでおり、今後も本物の教育にこだわっていく」と、赤峰代表は初心を忘れない。

DATA

名 称:福岡コミュニケーションセンター
住 所:福岡市博多区博多駅東2-5-37 博多ニッコービル5F
創 業:1984年9月
代表者:代表 赤峰美則
事 業:英会話教室運営
URLhttps://www.fcc-english.co.jp/

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