【人物図鑑】少年院での反省文の日々が転じて、新聞記者・作家・事業家となる

【画像】吉永拓哉@ふくおか人物図鑑

『KYODAI Remittance』博多支店 オーナー
株式会社南米大陸 代表取締役
吉永拓哉

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KYODAI Remittance』博多支店
オーナー
吉永拓哉

【よしなが・たくや】
福岡県出身、1977年9月22日生、定時制高校を中退後、少年院を経て、1997年南米大陸へ旅立つ。エクアドルのバナナ農園、ペルーの民芸品店、ブラジルのモーテルなどで働いた後、2004年にブラジルでの永住権を取得、邦字新聞『サンパウロ新聞』の記者となる。現在、天神三丁目町内会長、サンパウロ新聞福岡支局長、KYODAI Remittance』博多支店オーナー・株式会社南米大陸代表取締役など。

【3Points of Key Person】

◎中学・高校で非行、日本で最も過酷で過激な学校・少年院へ
◎少年院での更生プログラムの反省文書きで文章力を修得する
◎南米を放浪して新聞記者となり、帰国後にまちづくりに貢献

なぜ、不良少年は文章を書くことに目覚めたのか

【画像】吉永拓哉@ふくおか人物図鑑

少年院で反省文を書きすぎて文章力が上がり、敏腕新聞記者になった元暴走族――。
過激な番組タイトルを打ち出して、2019年1月14日に放送されたテレビ朝日のバラエティ番組『激レアさんを連れてきた。』に登場した出演者は、株式会社南米大陸の吉永拓哉代表取締役だった。

中学時代に校内でシンナーを吸引したことで学校から登校を拒否された吉永代表は、指定暴走族グループ『鬼姫』の副総長を務め、さらに通っていた定時制高校も校内でのマリファナ吸引で中退した後、覚せい剤取締法違反、共同危険行為(暴走行為)、暴力事件で少年院へ送致された。

「私語厳禁、トイレ1日4回、飲み水1日4杯という厳しい規則をはじめ、軍隊並みの訓練が課せられて、脱落すれば教官から容赦なく叱責される、日本で最も過酷で過激な学び舎だった」と、吉永代表は当時を振り返る。 刑務所よりも厳しいといわれる少年院における驚くべき更生プログラムは、朝から夕方までひたすら反省文を書くことだった。最初の頃は1日中机に向かっても1、2行しか書けなかった吉永代表だが、原稿用紙の空白を埋めるために文章表現を工夫し始めると文章が書けるようになった。そして、反省を求める教官の心を揺さぶるために起承転結による文章構成力なども身に付けると、文章力に磨きをかかった。

反省文を通じて〝書く〟ことに目覚めた吉永代表は、少年院暮らしでの強がりで生じた数々の規則違反の結果、自ら得意とする反省文を書き続ける日々を送った。
「これまでの人生で大きな転換点となるのは、少年院と南米行きだった」とする吉永代表は現在、『ブラジル番長』の愛称で親しまれ、天神三丁目町内会長をはじめサンパウロ新聞福岡支局長、日本初といわれている町内会運営のウェブ番組『親不孝通TV』司会者、NPO法人セカンドチャンス!(2018年度内閣総理大臣賞受賞)副理事長など多方面で活躍する。

「いまプロフェッショナルとして、外国人に特化した、自分にしかできない仕事に取り組んでいる」とする吉永代表の『KYODAI Remittance』博多支店のオーナーとして、福岡市・親不孝通りに店舗を構える。送金会社とは、2011年の法改正で誕生した100万円以下の小口送金ができる資金移動業だ。
従来の銀行による送金業務が煩雑で高額だったのに対して、民間の送金会社は安価で利便性も高い。
「送金会社では、単に送金手続きだけでなく、日本へ仕事や留学でやって来た外国人らに寄り添いながら、彼らの生活が豊かになって、社会的な立ち地位も向上し、日本で幸せに暮らせるようなお手伝いもしている」と胸を張る吉永代表の原点は、南米で暮らした10年間に現地で受けた数多くの〝恩義〟にあった。

地球の裏側・南米での実体験が人生観を180度転換させた

【画像】吉永拓哉@ふくおか人物図鑑

南米に行って人生を勉強してこい――。少年院を仮退院した吉永代表に対して、父親が放った一言をきっかけとなって新天地・南米大陸へ赴くことになる。

最初、エクアドルで日本人経営のバナナ農園で働き始めた吉永代表は、「異郷の地で苦難と立ち向かいながら、たくましく生き抜く日本人移住者の姿に心打たれて人生観が変わった。人間は決して一人で生きていけないことを実感した」。

その後、ペルーを1年がかりで縦断した旅の途中では、外国人ホモ集団による拉致未遂にも遭遇し、ボリビアでは不法入国容疑で連行されるなどの波乱も経験して、ブラジルにたどり着いた。南米行きでの紀行録を書きたいと考えていた吉永代表は日記替わりにノートに書き留めて、その数は南米滞在期間中に10冊を超えた。
日本と南米との架け橋になることを決心した吉永代表は南米産品の物販会社を設立し、さらに不良少年らを改心させる『フロンティアクラブ』も立ち上げた。
そして、アマゾン奥地で生活した後、ブラジル南部の町へ移り住んだときには地元でのトラブルでギャング団から命を狙われる危機にも直面した。  

その後、ブラジルにおいて永住権を取得後、≪新聞記者募集≫の求人広告を見て、ブラジルの日刊邦字紙『サンパウロ新聞』の採用試験を受けて見事合格した。入社後、社会部に配属されると、少年院時代に培った文章力に加えて、暴走族時代の行動力も発揮して、エース記者として縦横無尽の活躍をみせた。
2006年に帰国した吉永代表は、サンパウロ新聞社福岡支局を設立し、さらにNPO法人チャレンジ・ブラジル福岡支部も立ち上げる一方、『ぶっちぎり少年院白書』『ヤンキー記者、南米を行く』『少年院で、大志を抱け』などの著作もあらわした。

全国放映された〝玄界灘のキムタク!?〟の反省文とは

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「これからの日本社会は、外国人が必要な社会になる。外国人と一緒に生活していく上でお互いに助け合い、国籍や人種が違っても手を差し伸べる共存共栄こそが大事であり、日本の生きる道である」とする吉永代表は新たなチャレンジに挑む。
2019年4月からスタートした新たな外国人材を受け入れる在留資格『特定技能』制度に対応して、現地事務所のあるネパールなどから特定技能ビザによる人材受け入れに乗り出す。

従来の技能実習では組合組織を受け皿とし、いわゆるブローカーらによるトラブル発生などを踏まえて、「日本人と外国人が対等の関係となって、トラブルなく共存共栄でやっていくために募集から就労まで一貫して対応していく」考えだ。

先日、『激レアさんを連れてきた。』の番組出演中に司会者から求められた反省文を書き送った後日、番組でも紹介されたのは下記のような反省文だった。
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(一部抜粋)
すぐに自己を過大評価してしまうことは、人生において良くないことであると、つくづく思い知らされました。
自己の過大評価は、人からも嫌われ、せっかく積み上げてきた人の信頼まで失くしてしまいます。
この度は、本当に申し訳ございませんでした。 敬具
玄界灘のキムタク
吉永拓哉

DATA

名 称 株式会社南米大陸
住 所:福岡市中央区天神3-6-8天神ミツヤマビル102
設 立:2013年10月25日
代表者:代表取締役 吉永拓哉
事  業:『KYODAI Remittance』博多支店の運営、国際業務に関するコンサルティング
URL:http://kyodairemittance.com/ja/

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