【人物図鑑】〝都市OS〟で福岡市のまちづくりと未来を導くIT産業振興の〝旗手〟

【画像】公益財団法人福岡アジア都市研究所 理事長
国立大学法人九州大学 理事・副学長 安浦寛人

九州大学名誉教授
前公益財団法人福岡アジア都市研究所 理事長
安浦寛人

【画像】公益財団法人福岡アジア都市研究所 理事長
国立大学法人九州大学 理事・副学長 安浦寛人

【やすうら・ひろと】
福岡県出身、1953年生、福岡県立修猷館高校卒~京都大学工学部情報工学科卒~京都大学工学研究科修士課程(情報工学専攻)修了・博士課程中退。1980年4月京都大学工学部助手、1983年3月工学博士(京都大学)、1986年11月京都大学工学部電子工学科助教授、1991年11月九州大学大学院総合理工学研究科情報システム学専攻教授、2008年4月九州大学大学院システム情報科学研究院長(~2008年9月)、2008年10月九州大学理事・副学長、2011年4月財団法人福岡アジア都市研究所理事長(~2024年6月)、2011年10月日本学術会議会員(~2017年9月)。2024年6月に福岡アジア都市研究所理事長を退任。

【3Points of Key Person】

◎福岡市の都市政策シンクタンク理事長をはじめ公職多数
◎人工頭脳を志して京大進学、LSIを手掛けて九大へ、IT産業振興に尽力
◎福岡市のベンチマークとして〝第3極の都市〟を定義する

都市は一つのシステム、まちづくりとは都市のOSづくり

【画像】公益財団法人福岡アジア都市研究所 理事長
国立大学法人九州大学 理事・副学長 安浦寛人

MONOCLE『世界で最も住みやすい都市ランキング』第7位(2016年)、野村総合研究所『成長可能性都市ランキング』第1位(2017年)、森記念財団『世界の都市総合力ランキング』世界42位(2019年)……。〝地方最強の都市〟〝福岡はすごい〟などのタイトルの書籍も相次いで刊行された福岡市にいま耳目が集まる。

「《住みたい、行きたい、働きたい、アジアの交流拠点都市・福岡》のまちづくりを目指すシンクタンクとして、アジアに開かれた2000年の歴史があり、〝日本のラテン〟ともいえる面白い気質を持つ都市のまちづくりに関われることは有り難い」と、公益財団法人福岡アジア都市研究所の理事長を務めた安浦寛人九州大学名誉教授は語る。
福岡市の都市政策シンクタンクである同研究所の理事長は歴代、都市計画の専門家が務めた。2011年、〝情報屋〟を自認する安浦理事長への打診では、「これからのまちづくりはハードではなく、ソフトが重要になる」と、Society 5.0(超スマート社会)を先取りした感のある高島宗一郎市長の言葉が〝殺し文句〟になった。

長年、半導体やシステムLSIの設計を手掛けた安浦名誉教授は、「情報技術は道具であり、いかに社会を良くしていくかが工学の課題になる」と、問い続けてきた。
そして、2000年に米国で開催された国際学会でスタンフォード大学の教授との船上デッキでの議論を通じて安浦名誉教授は、「社会の新しいインフラとしての情報技術が今後、さまざまな社会問題を解決していく」との確信を得た。
「都市全体はいわば一つのシステムであり、まちづくりとは都市のOS(基本ソフト)をつくること」との持論を語る安浦名誉教授は、九州大学副学長などを歴任し、多数の公職を務めており、福岡市総合計画審議会委員も務めた。

人工頭脳を目指してLSI設計、シリコンシーベルトを構想

【画像】公益財団法人福岡アジア都市研究所 理事長
国立大学法人九州大学 理事・副学長 安浦寛人

「脳が面白いので、脳の研究をやりたい」― ― 、高校生だった安浦理事長は考えた。大学進学に際して相談した父が示した進路は、文学部心理学科、医学部医学科、理学部生物学科、工学部情報工学科の4つだった。
そして、「自分の目が黒いうちは九大に足を踏み入れさせない」と宣言した父は九大工学部通信工学科の教授でもあった。
結局、安浦名誉教授は情報工学科を新設したばかりの京都大学工学部へ進む。

大学において、脳の働く仕組みをコンピューター上で再現するニューラルネットワーク(神経回路網)をつくるために取り組んだのが、システムLSIの設計だった。
ニューラルネットワークは進化を重ねて近年、AI(人工知能)ブームの火付け役になった『ディープラーニング(深層学習)』の源流になっている。
京都大学で工学部電子工学科の助教授に就任した安浦名誉教授は、「論理に基づくソフト系のデジタルな世界の情報工学科から物理的なハード系でアナログな世界の電子工学科へ飛び込んだ結果、全く違う2つの学問を学ぶ機会を得た」と振り返る。

1991年に大学間人事交流で九州大学から打診された際に、父の他界もあって大学院総合理工学研究科の情報システム学専攻教授として、九大筑紫キャンパスに赴任した。
九大への着任早々、福岡市・百道浜にあるIT産業の拠点施設であるソフトリサーチパークへの中核施設として開設する研究所の設立準備委員会委員長を務めた。
公的な産業支援機関の先進事例として知られる京都高度技術研究所をモデルにして1995年、財団法人九州システム情報技術研究所(現・公益財団法人九州先端科学技術研究所)が誕生した。
2000年代に入ると、〝頭脳無き〟シリコンアイランドとやゆされた現状をうれえていた当時の麻生渡福岡県知事宛にレポートを提出した。
この提案をきっかけに誕生したのが、LSI設計と人材育成の拠点である福岡システムLSI総合開発センターだった。

そして、同センターを核に動き出したのが、世界最大の半導体生産地である、九州~京畿(韓国)~新竹(台湾)、香港、シンガポールを結んでの『シリコンシーベルト』構想だった。
21世紀初頭、世界の半導体生産量の約4割を占めた同地帯は現在、隣接の中国沿岸部も含めると実に世界シェアの8割を占めている。
半導体産業の集積を図る上で〝旗振り役〟となったシリコンシーベルトというネーミングについて、安浦理事長は愛読する白石一郎の海洋時代小説からヒントを得たそうだ。
その後、2008年に有川節夫九大総長から副学長を依頼された時、安浦名誉教授は、「いままでは〝情報屋〟として半導体設計が仕事だったが、これからは大学経営という仕事へと職業変えをすることになる」と自分を納得させたという。

「流れは乗るモノでなく、自分でつくるモノ」

【画像】公益財団法人福岡アジア都市研究所 理事長
国立大学法人九州大学 理事・副学長 安浦寛人

「都市デザインでは、廃棄物やゴミ問題などの静脈分野も大事であり、当研究所では都市システムのウラ・オモテの両面をみていく」とする安浦名誉教授はリーダーの資質として、《ぶれない・逃げない・くたばらない》ことを挙げる。

政治首都でもなく経済首都でもない福岡市のベンチマークとして、シアトルやバンクーバーなどに代表される〝第3極の都市〟としてのあり方を構想する安浦名誉教授は、「福岡はすごく良いまちであり、若い人たちにさらに良くしてほしい」「社会とは暮らす場であり、自らつくり出す場でもある」とのエールを送る。
「流れは乗るモノでなく、自分でつくるモノ。自ら流れをつくれる人になってほしい」と、温かいまなざしで語る安浦名誉教授にとっては依然、忙しい日々が続きそうだ。

DATA

名 称:公益財団法人福岡アジア都市研究所
住 所:福岡市中央区天神1-10-1 福岡市役所北別館6階
設 立:1988年 8月 財団法人福岡都市科学研究所設立、1992年10月財団法人アジア太平洋センター設立、2004年 4月 両財団を統合して財団法人福岡アジア都市研究所、2012年 4月 公益財団法人福岡アジア都市研究所となる
事 業:都市政策に関する調査研究、アジア交流ネットワークの構築、都市情報の収集・分析・加工・発信、地域の人材育成
URLhttp://urc.or.jp/

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