【人物図鑑】次世代の〝働く空間〟をハード・ソフトの共創でプロデュースする

米村一宏オカムラ西日本支社センター長セミナー風景

株式会社オカムラ 西日本支社
ワークスタイルソリューションセンター
センター長 米村一宏

 株式会社オカムラ 西日本支社 
ワークスタイルソリューションセンター
センター長 米村一宏
株式会社オカムラ 西日本支社
ワークスタイルソリューションセンター
センター長 米村一宏

【よねむら・いつひろ】
広島県出身、1961年4月8日生、広島高校卒~東京理科大学工学部建築学科卒。建築設計事務所において住宅などの建築設計に従事した後、オカムラに転じて、空間設計やオフィス設計を手掛ける。現在、空間・建物・土地における人の行動や働き方、暮らし方、生き方の各観点をもとに新たなコンセプトを導き出して、具現化していくことをライフワークとする。一級建築士、宅地建物取引士、認定ファシリティマネージャー、インテリアプランナー、一級CAD利用技術者、IAUD会員、JFMA会員、建築家協会会員、福岡県建築士会会員。趣味は14歳から始めて毎週汗を流すテニス。

【3Points of Key Person】

◎働く空間づくりコンサルタントとして、新たな空間設計を伝道
◎一級建築士からスタート、経営や人事、教育を修得して生かす
◎世の中の〝目に見えない壁〟を人を巻き込みながら打ち破る

〝働く空間づくりコンサルタント〟が考えるオフィス空間

オカムラTie

「オフィスとは、理念をもとに集まって来た人たちの働く場である。そして、働く空間づくりコンサルタントの視点からみれば、理念をメンバーで共有化していくことでオフィス内から新たなチームが誕生していく」。
株式会社オカムラ西日本支社ワークスタイルソリューションセンターの米村一宏センター長は説く。

働く空間づくりコンサルタントは、建築空間というハード分野の枠組み(フレーム)と共に建築の中身(インサイド)としての経営や人事、教育などのソフト分野の両面から《働く》という行為に対してアプローチする。そして、社員のモチベーションを高めながら、彼らの生産性を高めていくことを通じて、空間づくりから企業経営をサポートしていく。
米村センター長には働き方改革関連の講演依頼も多く、福岡を拠点に広島~沖縄のエリアで年間約70回、講演している。

「建築家や建築デザイナーは自分自身の思想を持っている人が多い半面、オフィスなどの建築空間に対して経営や人事、教育などの要素を織り込める人は極めて少ない」と、一級建築士でもある米村センター長は分析する。
その点を踏まえ、米村センター長は、「空間づくりにおいて、建築のフレームは建築基準法などでルール化されている。一方、フレーム内の要素である経営や人事、教育などのソフトはルール化しにくい存在だ。オフィスという建築空間において、いかに両者を着地させるかが腕の見せ所になる」とこだわりをみせる。

このような構造と要素を備えたオフィスの由来とは一体、何だったのだろうか。
米村センター長によると、「オフィスという単語は、ウフィッツィ(=メディチ家の仕事場)が語源といわれる。ウフィッツィとは、イタリア・フィレンツェにあったメディチ家のウフィッツィ美術館に由来する。ウフィッツィ美術館はルネサンス期に膨大な絵画や彫刻を集めており、管理リストを作成するための事務作業場をウフィッツィと呼んだ」というのだ。このような構造と要素を備えたオフィスの由来とは一体、何だったのだろうか。
米村センター長によると、「オフィスという単語は、ウフィッツィ(=メディチ家の仕事場)が語源といわれる。ウフィッツィとは、イタリア・フィレンツェにあったメディチ家のウフィッツィ美術館に由来する。ウフィッツィ美術館はルネサンス期に膨大な絵画や彫刻を集めており、管理リストを作成するための事務作業場をウフィッツィと呼んだ」というのだ。

そして、最近1世紀のオフィスを取り巻く時代環境について、米村センター長は大きく3つに大別する。1910年代〜1940年代は、テーラーに代表される《監視の時代》とする。
その後、1950年代〜1980年代は、ドラッガーに象徴される《管理の時代》だった。そして、1990年代以降は、《自律・独創性の時代》とみる。

なぜ、一級建築士は働く空間づくりの専門家に転じたのか

Tieでのセミナー風景

祖父が大工だったという米村センター長は高校時代、理系科目を得意とした。また、住宅をはじめ建築物好きだったこともあって、建築家への道を志して東京理科大学工学部建築学科へ進んだ。
学生生活を送った1980年前半における日本の住宅着工件数は100~120万戸と比較的高水準だった。
そうした時代背景のなか、建築学科の学生だった米村センター長は、「《要求と工法》という観点で建築の中身から建築の枠組みにアプローチする『インサイドアウト』という手法を提唱した東大名誉教授の井口洋祐教授に感化された」と、当時を振り返る。

卒業後、地元・広島の建築事務所に入社した米村センター長は、一級建築士として住宅設計などを手掛けた。好奇心旺盛な30歳台半ばだった米村センター長は、新聞の求人広告をみてオカムラへ転職した。
オカムラでは建築の中身であるオフィス家具の醍醐味を体感し、空間設計の〝武器〟として登場したAuto CADに熱中した。
設計畑だった米村センター長にとって転機となったのはオカムラ入社10年目に命じられた東京のマーケティング本部勤務だった。新天地で損益計算書や貸借対照表の読み方から勉強した米村センター長は、建築そのものへの見方も変わった。

「以前は、建築屋としてすぐに絵を描きたがったが、マーケティング本部勤務後は、ストーリーを大事にするようになった、《なぜなのか》《何を目指すのか》ということを相手に問いて、お互いの共感を得た上で絵を描き始めるようになった。何よりも経営者や経営幹部との共通言語を持つことができ、一緒に未来図を描けるようになったことが大きかった」と、米村センター長自身は考える。
当時、先進的な建築家グループは建築設計に際して、ユーザーとのワークショップや対話を重ねながら、建築物を共創していた。彼らの姿に刺激を受けた米村センター長は、自らの仕事を働く空間づくりコンサルタントと定義付けて、建築空間の枠組みと中身の両面からアプローチしていくようになったのだ 。

「目に見えない世の中の〝壁〟をぶち破る」

オカムライメージ画像

「実は各業界やそれぞれの仕事、さらに文化でも目に見えない壁があり、ボーダーがある。それを今後、打ち破っていきたい」と、米村センター長は思い巡らす。
見えない壁の破り方としては、カイゼン運動に代表される部分解としての取り組みではなく、インサイドアウトなどの大胆な手法を用いながら、一挙に全体解を導き出すような大胆なやり方で臨む考えだ。

「人間は目的意識を持ちながら、常にレベルアップしたがる生き物だ。若者をはじめ、デザイナーや営業マンらなどいろいろな人たちを巻き込みながら、壁を打ち破っていきたい」との思いを膨らませる米村センター長は、「ありきたりのことを考えていても、人生楽しくない」と、いたずらっぽく笑う。️

DATA

名 称:株式会社オカムラ
本 社:神奈川県横浜市西区北幸1-4-1 天理ビル19階
創 業:1945年10月
代表者:代表取締役社長 中村雅行
事  業:オフィス家具をはじめとしたスチール家具全般の製造・販売、他
URL:http://www.okamura.co.jp/

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