【人物図鑑】九電の異端児か、街の救世主か。〝複業マン〟が未来への可能性をシュート

無名人
代表
松尾隼矢

【まつお・じゅんや】
1991 年 3 月 30 日生、長崎市出身。長崎県立長崎工業高校建築科卒。2009年4月、九州電力株式会社に入社。同社佐賀支店、新大分発電所建設所で発電所プラントの工事監理などに従事。本店土木建築本部で中国やインドネシアで開発プロジェクトの工事監理等を担当する。その後、福岡市のウォーターフロント整備事業をはじめ、九州各地のまちづくりコンサル業務を手掛ける。都市開発事業本部で天神・渡辺通の不動産再開発事業、九州大学箱崎キャンパス跡地活用事業などを担当。2025年8月、株式会社電気ビルに出向し、渡辺通まちづくりプロジェクトを手掛けている。2022年4月、九州電力の副業解禁に伴って株式会社aptp(東京都)のまちづくりプランナーとなり、福島県某温泉地駅前再開発および神奈川県海老名駅前商業施設の企画支援業務を〝複業〟として担当した。さらに明治大学や日本大学、九州大学の各建築学科で外部講師として登壇。趣味は海外一人旅、アニメ、サウナ。好きな言葉は、「力抜き姿勢よく」(CHEMISTRY『赤い雲 白い星』)
【3Points of Key Person】
◎ 九州電力で発電所建設・不動産開発、海外事業、まちづくりを担当
◎ 複業で大学外部講師、コンサル、Webマーケティングなどを経験
◎ ボランティアや日々の対話活動の中から未来の可能性が生まれ続ける
複数の顔を持つ男。その正体は「九電のサラリーマン」?

ある時は、電力会社サラリーマン。
ある時は、高卒の大学講師。
ある時は、まちづくりプランナー。
ある時は、福岡市の子どもたちに食・文化をプレゼントするサンタクロース。
また、ある時は、被災地・能登半島での一人一花の〝若き〟花咲か爺。
そして、その正体は……。
「得意分野ナシの無名人、ずっと先までみなさまの屋台骨」
某企業メッセージを本歌取りして〝無名人の『屋台骨』〟を自認する松尾隼矢さんは、「自分の周りの友だちやパートナーを幸せにできるスーパージェネラリストを生涯突き詰めていきたい」。
本業のサラリーマンとしては、発電所のプラント建設や公共施設開発などの建築・不動産開発事業を担当し、まちづくり事業も手掛ける。
現在、出向先である株式会社電気ビルにおいて、新ビル建設と広場開発を担当する。
「街のどこかで生まれた議論がきっかけとなり、新しいコミュニティーが生まれる。そして、イノベーティブな街へと発展していく支えとなりたい」と大胆不敵な笑みを浮かべる。
会社の副業公認に伴い、まちづくり会社のプランナーやWebマーケティングコンサルタント、大学外部講師も務める〝複業〟サラリーマンとして多忙な日々を送る。
毎冬、子どもたちやシングルマザー・ファザー世帯向けの子ども食堂や映画祭を開催する『ふくおかクリスマスフェスタ』の企画スタッフをボランティアで務める。
さらに、震災復興支援活動『一人一花in能登半島』では、九州大学や庭師、ガーデンデザイナー、アンバサダーで俳優の常盤貴子さんたちと共に被災地で汗を流す。
大工への憧れから、九州最大のインフラ企業へ

「小学校の頃からの憧れは大工であり、格好良い仕事だと思っていた」という松尾さんは、中学校へ進学して「建築」という言葉を知り、工業高校の建築科を選んだ。
高校での部活動は、小学校時代から続けるサッカー部に所属しながら、建築研究部という〝二足のわらじ〟を履き、さらに近所の工務店でのアルバイトで研さんも積んだ。
在学中、高校生ものづくりコンテスト全国大会の建設系(木材加工部門)では、九州大会優秀賞を獲得した。
そして、上海・ドイツへ短期留学した松尾さんは、現地において「自分自身の世界観の狭さを知り、みんながみんな一緒でなくても良いのだ」ということを体感する。
帰国後、九州で大きな仕事をしたいと考えた松尾さんは、「少しでも早く社会に出たい一心で九州一大きな会社(九州電力)の門をたたいた」とのことだ。
入社後、初任地の佐賀支店勤務を経て、新大分発電所では、プラント建設の工事監理を担当した。
当時21歳の松尾さんは、「恩師ともいえる上司に出会った。忙しいと言っているサラリーマンがかっこいいと思っていた私に対し、<忙しい奴はつまらん、余白(余裕)に良いビジネスが舞い込んでくる>と言う上司に最初、違和感しか覚えなかったものの、真意を知って仕事への基本姿勢そのものが変わった」ことを明かす。
大分在任時、松尾さんはサラリーマン人生で最大の危機に直面した。
生涯年収に匹敵する多大なミスを犯してしまったのだ。
クビを覚悟した松尾さんは、職場の先輩に報告・相談すると、自身も同様のミスを経験していた先輩は適切にリカバリーしてくれた。
事なきを得た松尾さんは、「どんな大きな失敗でも大体のことは解決できる。小さな失敗を恐れている暇はない」ことを自らの教訓とする一方、「ミスを推奨するのではない。だが、失敗の先にしか見えない景色がある」と語る。
そして、恩師の上司が本店へ移り、呼び寄せられる形で松尾さんも本店へ異動した。
複業、ボランティア、そして「ひげ」。常識をアップデートする働き方

「人と会話する中で新たな事業や課題解決方法が生まれてくる」とする松尾さんは、「他者の価値観に寄り添い、プロジェクトの立上げや推進を支援していきたい」「多様なスキルを掛け合わせて、新たな高い価値を常に提案していける存在になりたい」と今後の構想を思い描く。
「心理的安全性の高さに加えて、コミュニケーション能力をさらに磨いていこう」と前向きな松尾さんは、本店への異動後の20歳代半ばから社外のまちづくり関係者やデザイナーらと交流し始めた。
社内でいち早くビジネスカジュアルを自らのファッションとした。
また、トレードマークの一つとなっているひげは、30歳時のタイへの一人旅で、無精ひげを生やしたことをきっかけとする。
当初、社内で唯一無二の格好であり、同調圧力は相当なものがあったものの、「あえて無視していたら、時代が追い付く形で企業トップをはじめ、社内でもビジネスカジュアルが浸透してきた。僕のファッションを注意した先輩らも今ではTシャツで通勤している(笑)」と語る松尾さんは、無邪気な笑顔を見せる。
現在も社会人チームに所属して、サッカー場で白球を追い続ける松尾さんは、「サッカーは他の球技と違ってパフォーマンスの自由度が高く、自ら試合をデザインできる。ビジョンや戦術を決め、目まぐるしく変わる環境下(フィールド内)で即時判断と行動が求められる部分やチームメイトとのコミュニケーションの重要性などを考えると、サッカーは仕事と似ている」と持論を説く。
松尾さんは、「スーパースターや主役になりたいわけじゃない。誰かの挑戦を支える『最強の脇役=屋台骨』でありたい」と、さっそうと渡辺通を駆け抜けていく。
DATA
名 称:無名人
住 所:福岡市中央区今泉
代表者:代表 松尾隼矢
所 属:九州電力都市開発事業本部および株式会社aptp、個人事業主として活動
備 考:主戦場は渡辺通二丁目、ときどきタイの路地裏


コメントを投稿するにはログインしてください。