【人物図鑑】地域に飛び込み、人々の思いに寄り添う〝まちの応援団〟づくりが奇跡を生む

【画像】株式会社ホーホゥ 代表取締役 木藤亮太

株式会社ホーホゥ
代表取締役
木藤亮太

【画像】株式会社ホーホゥ 代表取締役 木藤亮太
株式会社ホーホゥ
代表取締役
木藤亮太

【きとう・りょうた】
1975年1月23日生、福岡県出身。福岡県立小倉西高校卒~九州芸術工科大学(現九州大学芸術工学部)芸術工学部環境設計学科卒~同大学大学院芸術工学研究院生活環境専攻修了(芸術工学修士)。有限会社ステップ環境設計(現株式会社エスティ環境設計研究所)に入社、ランドスケープや景観計画に携わる。同社取締役を経て、2013年7月宮﨑県日南市のテナントミックスサポートマネージャーに就任して、〝日南の奇跡〟と称された油津商店街の再生を果たす。2014年3月株式会社油津応援団を設立して専務取締役、2018年1月株式会社ホーホゥを設立して代表取締役に就く。2017年4月福岡県那珂川町(現那珂川市)事業間連携専門官、2019年6月那珂川市まち活UPなかがわコーディネーターに就任。2019年6月株式会社バトンタッチを設立して代表取締役となる。九州地域間連携推進機構株式会社取締役なども兼務する。

【3Points of Key Person】

◎ まちの応援団づくりの名人として那珂川市を拠点に各地で活動
◎ 芸工大出身、油津商店街で応援の連鎖によって〝日南の奇跡〟を実現
◎ 今後は経済産業系から社会福祉も織り込んだまちの再生を模索していく

〝日南の奇跡〟で得た経験をもとに新たな再生に挑む

【画像】株式会社ホーホゥ 代表取締役 木藤亮太

ネコも歩かぬシャッター街〟といわれるほど衰退した商店街を再生した〝日南の奇跡〟は全国的に注目を集め、〝地域活性化の請負人〟と評価された人物は現在、自らのルーツがある福岡県那珂川市で地域の人たちと汗を流す。
「そこで暮らす人たちの思いを掘り起こしながら、地域を元気にしていく〝まちの応援団〟づくりの経験やノウハウ、仕事上のスキルが生きる」と、株式会社ホーホゥの木藤亮太代表取締役は、和やかな表情で語る。

2017年4月に那珂川町の『事業間連携専門官』に就いた木藤代表は現在、JR博多南駅の駅ビル『ナカイチ』を地域コミュニティの場として再生することをコンセプトに西部ガスなどと共同で運営している。
もっとも、那珂川市に移り住んだ木藤代表は当初、「那珂川市と日南市の人口は同じく5万人なのに日南市の方が、未来があると感じた。人口減が続く日南市は、地元で生まれ育った人たちが〝暮らす〟まちだったのに対し、人口増の那珂川市は福岡市で働く人たちが〝住む〟まちという印象」と感じた。

そして、那珂川市のまちづくりにおいて木藤代表は《くう・ねる・あそぶ》の充実をコンセプトに打ち出した。《ねる》場所であるベッドタウンの那珂川市では、地元農産品の地産地消である《くう(消費)》の取り組みとして、親子で地元の食を楽しめる『イタダキ!!なかがわ』事業を立ち上げた。
一方、《あそぶ(余暇活用)》では、地域観光やレクリエーションにつなげる地域資源の活用に向けて、『なかがわよかとこ発見隊』を展開した。 
「まちの応援団づくりモデルを各地で展開していきたい」とする木藤代表は、日田市の商店街アドバイザーや古賀駅西口エリア活性化支援事業のマネージャーとして地域の人たちと一緒になって、新たなまちの応援団づくりに取り組む。

まちづくりの原点は〝ふるさと〟というものへのあこがれ

【画像】株式会社ホーホゥ 代表取締役 木藤亮太

小学校の頃から図画工作などものづくりが得意だった木藤少年は、転勤族が多かった父と共に一家で埼玉、千葉、福島、小倉へ移り住んだ経験を持つ。
各地で転校生として過ごした木藤代表は、「自分自身にふるさとが無いという感覚から、ふるさとへのあこがれが強く、地方のまちを元気にすることへの興味を抱いていった」ことを明かす。

大学・大学院時代にランドスケープデザインを学んだ木藤代表は、環境デザイン事務所でまちづくりに携わる。国の重要文化的景観に選定されている佐賀県唐津市の蕨野棚田の保全事業では、自ら田んぼを借りて米作りに挑むことで地域の人たちから信頼を得た。その結果、地域の人々と一体となって棚田保全に取り組む関係性が生まれた。
30歳代半ばで取締役に就いた木藤代表は、「現場から遠ざかっていくことや、まちに対してプランニングでしか関わらないことから、この仕事への限界を感じた」ことで退職を考えた。そんな矢先に知ったのが、宮崎県日南市の油津商店街の再生マネージャーの公募だった。

広島東洋カープや埼玉西武ライオンズのキャンプ地である日南市は、国指定名勝の鵜戸神宮や〝九州の小京都〟と称される飫肥城下、戦前に〝東洋一のマグロ基地〟といわれた油津港で有名だ。中心市街地の『油津商店街』は、かつて80店舗が軒を連ねていたものの、時代の流れに取り残された結果、店舗数は1/3まで減少していた。
2013年7月、油津商店街テナントミックスサポートマネージャーに着任した木藤代表は、「人っ子一人いない状況でがくぜんとしたが、企画段階から腰を据えて、プランニングだけでなく、実践的にまちづくりに取り組めると、強いワクワク感を覚えた」と、当時を振り返る。 
その一方で〝よそ者〟である木藤代表に対する反発も出てくる中、「地域に飛び込んで地元の人たちと一緒にやっていくためにも、このプロジェクトに対する覚悟をみせるべきと、銀行から借金をして商店街の喫茶店跡にカフェ『アブラツコーヒー』をオープンさせた。すると、周りから認められるようになって応援してくれる人たちが現れた」「かつての棚田保全事業の時と同じ感覚だった」と語る。

自らの開業が起爆剤になって、豆腐とランチの店や多世代交流施設のオープン、屋台村やコンテナ店舗も誕生した。さらに商店街を舞台に多彩なイベントを開催されていくことで次第ににぎわいも戻ってきた。
当初、4年間で20件の目標だった誘致件数は、飲食店や物販店、IT系ベンチャー企業、宿泊施設など29店舗などが誕生し、中小企業庁の『2016年度はばたく商店街30選』にも選ばれた。
全国の自治体からの視察が相次ぐ中、那珂川町関係者も視察に訪れ、その仕事ぶりに興味を持ってくれたという。そして、木藤代表は自らのルーツがある那珂川町をふるさととみなし、移り住んでまちづくりに関わることを決断した。

「自分にしかない武器を身に着けて、技を磨き、チャンスをつかむ」

【画像】株式会社ホーホゥ 代表取締役 木藤亮太

社名の『ホーホゥ』は、「方法」に通じる共に知恵や知識の象徴であるフクロウのホーホーという鳴き声にも由来する。さらに鍬(hoe)で耕して、種をまいて育てるという意味合いも込める。
木藤代表は、「これまでは商店街再生や企業誘致などの経済産業系のまちづくりが中心だったが、今後は医療や介護、障がい者らも含めた地域福祉にも力を入れていきながら、安心安全で暮らしやすく多様性のあるまちづくりを実現したい」と自らの取り組みを今後も模索を続けている。

「カフェや喫茶店は、コミュニケーションを楽しむ空間であると同時にまちを応援していく場でもある」「地域で暮らしている人々にコミュニケーションが生まれることは結果的に幸せなまちができていく」と考える木藤代表は、那珂川市の老舗喫茶店『キャプテン』の閉店に際し、自ら名乗り出て事業を引き継いだ。「木藤流の地域福祉の取り組みといえるのではないだろうか」とする。

店名通り、船をイメージした店内のカウンターに立つ木藤代表は、「人生のうち1、2回は主人公になるチャンスが巡ってくる。そのチャンスをつかむためにも、普段から自分の武器となるスキルや専門性を磨いてほしい」とのエールを送りながら、「さまざまな能力を持った人たちでパーティを組む〝ドラゴンクエスト〟的なチームづくりが大事になる」と、まちづくりを志す若者たちへ未来への羅針を示す。

DATA

名 称:株式会社ホーホゥ
住 所:福岡県那珂川市大字安徳103-1
設 立:2018年1月
代表者:代表取締役 木藤亮太
事 業:地域の活性化、場づくり、アート・カルチャーに関する企画・デザイン・運営

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