【人物図鑑】妊婦の分娩を音楽や照明、映像の〝シンフォニー〟でサポートしていく
株式会社シンフォニア
代表取締役
環境サウンドデザイナー
亀山みゆき
【かめやま・みゆき】
1958年3月21日生。福岡市出身。福岡県立香椎高校卒~山口芸術短期大学音楽科卒。1978年、ヤマハ音楽講師として社会人デビュー。1985年に独立・起業した。1993年に亀山真吾氏と結婚して、音楽事務所シンフォニアを発足。1997年、株式会社シンフォニアに法人化。1998年、分娩支援システムをリリース、音楽制作スタジオが完成。2007年、自社屋が完成。音楽療法研究所を設立。2008年、真吾氏の急逝のため、代表取締役に就任。趣味はインテリアコーディネート、アロマセラピー、ドライブ、料理。
【3Points of Key Person】
◎ 幼少期から音楽に親しみ、夫婦で音楽事務所を設立
◎ 音楽界から出産経験を機に産婦人科向けシステムへ転身
◎ 台湾への海外進出を計画、女性の後進育成を志す
産婦人科向けに分娩支援システムを開発
「妊婦が分娩する環境を改善してきたパイオニア的な存在だ」
株式会社シンフォニアの亀山みゆき代表取締役は、自社の取り組みについて語る。
同社では、産婦人科向けの分娩支援システムをはじめ、診療支援ソフトウェアや妊娠出産に関わるアイテムを提供している。
主力商品である分娩支援システム「BSS」では、分娩の進行状況に応じて、分娩室内の照明と音楽、映像を呼吸支援音とともにシンクロさせ、分娩をサポートしていく仕組みだ。
「分娩支援システムを世に送り出して四半世紀余りが経った現在、44都道府県の260余りの産婦人科で採用されている。これまで推計で160万人もの赤ちゃんが分娩支援システムで生まれている」と、亀山代表は目じりを下げる。
もともと、音楽関係の仕事をしていた亀山代表が、分娩支援システムを開発するきっかけは、自身の出産経験だった。
1995年に第一子となる長女を出産に臨んだ亀山代表は、事前に出産時の呼吸方法を体得していた。
しかし、実際の出産現場では、あまりの痛さに我を忘れた。そのような実体験を産婦人科医に話す中で分娩を独自にサポートしていくアイデアがひらめいた。
分娩支援システムは、プログラム制御の専門企業とコラボ開発したとのことだ。
そして、システムの開発資金は、趣旨に賛同した福岡の産婦人科医らのグループが出し合ったという。
さらに分娩支援システムの完成後、産婦人科医間での口コミによって一気に広がって、次々と導入が決まっていったそうだ。
「これまで無機質だった分娩室の環境改善をはじめ、産婦人科の内装デザインを一新し、イメージアップなども提案した」とする亀山代表は、「妊婦だったお母さんらから<思いのほか良いお産になった><本当によく頑張ることができた>という声などをいただいており、お産に対してポジティブになって2人目・3人目にチャレンジされるお母さん方も多い」と、目を細める。
本業と共に環境サウンドデザイナーとしても活動
幼少期からピアノを習い始め、小学校のころに音楽の世界へ進むことを決めた亀山代表は、短大の音楽科に学び、ヤマハ音楽講師として社会人デビューを飾った。
1985年に独立・起業。オリジナル音楽の制作をはじめ、音楽関係のプランニングや音楽イベントなどの企画・運営を手掛けた。
その後、元高校美術教師でデザイナーを本業にしながら、個人的に音楽活動を手掛けていた亀山真吾氏と知り合う。
「彼は、音楽の天才ではないか」と思った亀山代表は1993年、同氏と結婚して音楽事務所シンフォニアが誕生した。
長女を出産した1995年に分娩支援システムの開発に着手する。
そして1997年には、株式会社シンフォニアに法人化した。
この間、生まれてくる子のためにオリジナルの胎教音楽の必要性を感じた亀山夫妻は、CD『天使のほほえみ』を制作した。
このCDは、OEM版も含めると10万枚を超えるロングセラーになるそうだ。
その後、赤ちゃんの産声を収録した『産声CD』の制作も手掛け、産婦人科医らとの関係を深めていった。
1998年、最初の分娩支援システムが稼働し、その後全国の産婦人科医を対象に活動の幅を広げた。
2007年に自社屋が完成し、音楽療法研究所を設立した。
「会社経営を夫と一緒にやっており、仕事も経営も順調そのものだった」と、亀山代表は当時の夫唱婦随を振り返る。
翌年・2008年、夫・真吾氏が、熊本市内のライブ中に大動脈解離で倒れて、急逝した。
突然訪れた別れに中学2年生の長女と小学2年生の長男を抱えたまま、亀山代表は茫然とする。
その後の2年間は、うつ状態となって空白の時を過ごした。
うつから立ち直るきっかけについて、亀山代表は、「子どもたちの存在であり、知己の産婦人科医からの応援だった。彼らは、ドクターバッグを片手に安否確認に訪れては〝宿題〟を置いていった」ことを明かす。
その宿題とは、元気になったら、取り組んでほしいことを記したメッセージの数々だった。
その後、現場復帰した亀山代表は、以前にも増して精力的に活動する。
経営者であると共に自らを『環境サウンドデザイナー』とする亀山代表は、福岡銀行グループ全店舗で流れるBGMを作成。
福岡市立舞鶴小学校の校歌も作曲した。
さらに分娩支援システムの〝ジュニア版〟ともいえる機能集約バージョンも開発している。
これまでの教訓となった失敗として、分娩支援システムを巡る特許紛争を挙げる。
結果的に和解に至った件を踏まえ、顧問弁護士を置き、さらに広報誌『シンフォニー通信』を毎月発行して顧客とのコミュニケーションの活発化を図った。
台湾をはじめ、アジア諸国への進出を計画
コロナ禍だった2020年、地価上昇やワークライフの環境変化を見越して自社屋を手放し、長女夫妻が企業経営に参画する新体制がスタートした。
同年、亀山代表の左肺にガンが見つかり切除する。その後、右肺に転移が確認されたものの、完治したという。自らの経験に基づいて亀山代表は、新しいタイプの健康食品の開発に乗り出す構想を掲げる。
また、台湾での分娩支援システムの展開を計画する亀山代表は、「台湾に進出し、その後タイやベトナムなどアジアの富裕層向けに広めていきたい」と思い描く。
一方、自らの人生を振り返り、亀山代表は、「女性のウェルビーイングのサポートをしていこう、そして、女性の後進を育てていきたい」との思いを募らせる。
「女性には妊娠・出産や育児などを伴うものの、男性側でも受け入れて協力していけば、大きな経済効果をもたらす」と、亀山代表は持論を説く。
座右の銘は、「念ずれば花開く」。
仏教詩人だった坂村真民の言葉に因んで、『One day One Life』というオリジナル曲も作った亀山代表は、人生そのものを謳歌する。
DATA
名 称:株式会社シンフォニア
住 所:福岡市中央区清川3-28-8
創 業:1993年
代表者:代表取締役 亀山みゆき
事 業:産婦人科医向けの分娩支援システム、診療支援ソフトウェアや妊娠出産アドバイザーなど
URL:https://www.symphonia-inc.com/
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