【人物図鑑】中洲でのビジネス経験を経てWeb業界へ転身、新たなビジネス創出に挑む

株式会社regaty
代表取締役
藤田彰

【ふじた・あきら】
1971年6月29日生、熊本市出身、熊本県立熊本北高校卒。税理士を目指して福岡市内の専門学校へ進学するも中退し、歩合制営業マンとなる。20歳の時に起業したものの、あえなく倒産。販売会社の営業マンとなって、負債返済に奔走する。中洲でのビジネス組織に足を踏み入れた後、カジノ店をはじめ、クラブやショットバー、創作料理店、美容室などの経営の多角化を手掛ける。組織のナンバー2まで出世するものの、40歳で中洲を引退して、Web業界へ異色の転身を果たす。現在、株式会社regaty代表取締役、株式会社ORENCH取締役副社長、JET GLOBALの共同創業者、NPO法人カラフルチェンジラボ コンソーシアムメンバーを務める。
【3Points of Key Person】
◎ 20歳で起業するも倒産で負債返済、中洲のビジネス組織に属する
◎ 中洲時代、強盗に襲われて頭蓋骨を砕かれて手足骨折の瀕死状態
◎ 40歳で中洲を引退、Web業界へ転身して新たなビジネス創出に挑戦
チャリティーの事業化をはじめWeb制作や海外ビジネスに挑む

「ひとつの仕事にとらわれず、いろいろなワクワクすることを仕事にしていく」「月収10万円の仕事でも10件やっていけば、100万円になる」
チャリティーとビジネスとの〝掛け算〟に取り組む株式会社regatyの藤田彰代表取締役は、はつらつとした表情で持論を説く。
「世界を知ることから、変わる未来がある」「買い物で気軽のチャリティー参加」「1枚からはじまる支援活動」……。
同社では、regatyブランドのオリジナルTシャツやショルダーバッグ、ブレスレットなどを購入すると、その代金の一定額を購入者が支援したいNPO法人やNGO団体、公益財団法人、公益社団法人、ボランティア団体、動物愛護団体などに対して資金を援助する独自の仕組みを構築している。
代表例は、LGBTQ団体の九州レインボープライドだ。
毎年秋に開催するパレード企画では、日本デザイナー学院の学生向けコンペでの最優秀作をボランティアTシャツに採用しており、教育効果と共にLGBTQへの理解促進を図っている。
「たとえ強盗に襲われて大金を奪われた上に殺されかけても、笑い飛ばしていく超ポジティブな性格の持ち主」と自己分析する藤田代表は、Web制作を手掛ける株式会社ORENCHの取締役副社長も務める。
ORENCHは地元上場企業のデジタル制作部門の業務を請け負っており、藤田代表は同社の最高制作責任者でもある。
一方、タイとの国際ビジネスを手掛けるJET GLOBALの共同創業者である藤田代表は、「共同経営者の友人の縁で現地の人々と知り合い、タイが大好きになった」と笑みを浮かべる。
さらに「ブレストで福岡の街をジブンゴト化!」を掲げてビジネス創出を目指す事業企画『FUKUCON』(フクコン)の事務局メンバーでもあり、10周年記念イベントでは司会を務めた。
中洲時代、強盗に頭蓋骨を打ち砕かての瀕死状態

元自衛官の父親は生粋の指揮官気質で、子どもにお小遣いを与えない主義だった。
このため、小学生だった藤田代表は、新聞配達を皮切りにいろいろなアルバイトに励んで、お金を稼ぐ経験をした。
高校時代は月間最高40万円を稼ぎ、得意の数学では熊本県内でもトップクラスの成績だったそうだ。
地元大学を目指して受験したセンター試験の回答中、不意に進学の無意味さを感じて途中で退室をしてしまう。
その後、数字にこだわる税理士を目指して福岡市内の専門学校へ進学したものの、「人の一生は、電卓の上で測れない」と思い、中退することを選んだ。
そして、化粧品や教材、通信回線などの歩合営業マンに転じた。
「営業は、結構できた」
そう語る藤田代表は、最年少売上トップになるなど各社で群を抜く実績を上げたという。
20歳の時にアナログながら、フリマ通販の企画運営会社を立ち上げたものの、あえなく潰れてしまう。
「いま、振り返っても経営をわかっていなかった」と謙虚に語る藤田代表は負債を抱え込み、再び歩合営業マンになって返済に奔走した。
そうした中、昼夜のダブルワークで借金返済をすべく働き始めた中洲のショットバーは、何とカジノ店だった。
そして、中洲のビジネス界に足を踏み入れる。
中洲は当時、カジノ解禁前夜を思わせる盛り上がりをみせて、全盛期を迎えていた。
所属する中洲のビジネス組織は、金融業から始まり、カジノにも進出していた。
「日本では、カジノを賭博とするものの、入店時に購入したチップを使って繰り返し遊べる一方、ゲーム終了後にチップを換金できないオープンカジノ(アミューズメントカジノ)という〝違法でないカジノ〟で全国でも有数の繁盛店にすることができた」と、当時を語る藤田代表は、目を細める。
組織内ではい上がって出世を重ねた藤田代表は、ボスと呼ばれる組織の統帥者と対面した。
そして、中洲でのグループ拡大に拍車が掛かり、クラブやキャバクラ、ショットバー、創作料理店、美容室、たこやき店、風俗店、お取り寄せEC事業などの経営多角化へ突き進む。
「マネジメントは得意だったものの、マネジメント自体は好きではなかった。つまり、得意なことと好きなことは違う」とする藤田代表は、組織のナンバー2まで上り詰め、「全店舗の黒字にする一方、24時間体制でヤクザ対応も含めたトラブル処理に奔走した」と、当時の慌ただしい日々を振り返る。
インターネットカジノやルーレットハウスが登場した2008年、大金の入ったアタッシュケースを片手に中洲を闊歩(かっぽ)する藤田代表に悲劇が襲った。
ある夜の帰宅時、目出し帽をして両手に金づちを持った男2人組が突然、襲い掛かって来た。
めった打ちされた藤田代表は、大金入りのキャッシュケースは強奪された。
さらに頭蓋骨を打ち砕かれた上に、腕も足も骨折して救急車で運ばれた。
瀕死の状態から驚異的な回復力をみせ、なんと2週間後に奇跡のカムバックを果たす。
「人前にきちんと出られるような人間になりたい」と考えた藤田代表は、不惑となる40歳の時、中洲からの引退を決意した。
組織のボスとは、仲たがいになったものの、初志を貫き通す。
そして、美容室や飲食店などのテナント家賃引き下げ代行サービスを立ち上げた後、2015年に株式会社regatyを立ち上げ、異例となるWeb業界への転身を果たした。
「過去の生き方より、過去の経験をいまに生かすことが大切」

『FUKUCON』を立ち上げた貞末真吾株式会社ブルースカイ代表取締役とは、10年以上の付き合いになる。
貞末代表が手掛ける事業の一つである神社内の子供向け写真スタジオ『Acestudio』を今後、出身地である熊本県などで展開していく予定だ。
「過去をどう生きたかよりも、過去の経験をどのようにポジティブに変換して、いまを生きるかが大切だ」
藤田代表は、これまでの生き様を振り返り、力強く語る。
自身の名刺は、ベルギーの〝小便小僧〟前で撮影した顔写真を全面にあしらったデザインだ。
名刺の上半分には、自身の名前である「彰」のくずし字として、「HAYAKU TATTE PYU PYU PYU」のアルファベット文字が、名刺の写真上に踊り、藤田代表の遊び心がうかがえる。
DATA
名 称:株式会社regaty
住 所:福岡市城南区友丘2-2-7
設 立: 2015年5月21日
代表者:代表取締役 藤田彰
事 業:アパレル業・Web制作業
URL:https://www.regaty.jp/
コメントを投稿するにはログインしてください。