【人物図鑑】和菓子のオープンイノベにトライ、NYでの和菓子ビジネスで勝ち点

福岡市和菓子組合 理事長
株式会社富貴 代表取締役社長  
松 本  弘

福岡市和菓子組合 理事長
株式会社富貴 代表取締役社長

松本弘樹

福岡市和菓子組合 理事長
株式会社富貴 代表取締役社長  
松 本  弘
福岡市和菓子組合 理事長
株式会社富貴 代表取締役社長

松本弘樹

【まつもと・ひろき】
福岡県春日市出身、1961年4月7日生、博多商業高校(現沖学園高校)卒。高卒後、京都の笹屋伊織で修行、1983年実家に戻る。1991年有限会社お茶々万十本舗を設立、代表取締役社長に就任。1999年福岡市和菓子組合に入会、新福岡・博多の和菓子開発研究会を立ち上げて『博多水無月』を共同商品化。2002年アメリカ・ニューヨークにThe Japanese Confection,Inc桜屋を共同設立して代表取締役に就任。2004年9月株式会社富貴代表取締役社長に就任。2005年4月JAL『世界の旅』エッセイコンテストで優秀賞を受賞。2015年5月福岡市和菓子組合理事長に就任。和菓子一級技能士。著書に『青春アメリカ大陸横断 やるときゃやります!』がある。趣味はラグビー観戦、セルフ散髪。

【3Points of Key Person】

◎地元の和菓子業界振興に向けて博多水無月を共同商品化
◎ニューヨークを起点に全米で和菓子ビズネスを展開
◎将来的に三代目経営者の息子に事業承継のパスを渡す

粉物食文化の発祥地で誕生した、異彩の和菓子『博多水無月』

博多水無月

うどんやそば、まんじゅうなどの粉物食文化の日本における発祥地は博多だといわれている。
鎌倉時代の高僧、聖一国師が1241年、中国から製粉技術を持ち帰ったことによる。
また、托鉢中の聖一国師は、親切にもてなした茶店の店主に蒸しまんじゅうの製法を教えたともいう。
その後、小麦粉を蒸して十字に切れ込みを入れた『十字』、野菜を包んだ『菜饅頭』などが登場した。

本格的なまんじゅうは1349年、中国から来日した林浄因が僧侶向けとして、中国の肉入りマントウを参考に、肉の替わりに小豆あんこを白い皮に包んで売り出したのが最初だ。これを和菓子の始まりとする見方も多い。

数世紀におよぶ和菓子の歴史の中でも異彩を放つのは、『博多水無月』だ。
「《期間限定にすること》《統一の旗を掲げること》《原材料のワラビ粉と小豆を笹で巻くこと》というシンプルな原則をもとに福岡・博多の各菓子店主が腕を競うという異例の取り組みによって、季節限定の〝福岡・博多オリジナル〟和菓子である『博多水無月』が完成した」と、博多水無月の生みの親である、福岡市和菓子組合理事長の松本弘樹・株式会社富貴代表取締役社長は、にこやかに語る。

京都での和菓子修行時代、地元の福岡・博多に無かった『水無月』という和菓子の食文化と出会った松本社長は福岡市和菓子組合に入会した1999年、「この地で100年後のスタンダードになる季節菓子として博多水無月を提案した」
当時、日本経済に不況風が吹き荒れて、福岡・博多の和菓子業界も将来のまったく見えない混沌とした、切羽詰まった状況下における、異例の提案だった。

最初、有志7店舗でスタートした博多水無月は各店舗での販売促進に加え、知的所有権(商標登録)の共同所有や住吉神社での祈願祭、販促用チラシ・冊子づくり、地元百貨店での共同催事などで売り上げを伸ばしていく。
20回目の2019年には21社31店舗が参加しており、福岡・博多の風物詩の一つとして定着した感もある。
「地元名産として定着した博多辛子明太子や国民的行事となったホワイトデーは、福岡・博多で生まれた食文化のオープンイノベーションであり、各菓子店主が一緒に盛り上げている博多水無月も本質は同じ」と、松本社長は考える。

20世紀末のEメールを契機に全米で和菓子事業を立ち上げ!?

博多水無月祈願祭

「私自身にとっての菓子づくりでのターニングポイントになったのは、やはり1999年だった」と、松本社長は振り返る。
福岡市和菓子組合に入会して博多水無月を開発した年の暮れにニューヨークから1本のEメールが届いた。

以前、友人の勧めで簡単な内容を入力した簡易版的なウェブサイトを見た先方から「ニューヨークに来て、和菓子の指導してほしい」という内容だった。
友人らが心配する中、翌年4月に渡米して現地へ向かうと、台湾出身で日本への留学経験を持つ華僑系の事業家が、現地の和菓子店の経営を引き継いで悪戦苦闘していたのだ。

華僑系事業家と話し合った結果、技術指導に留まらず、双方50パーセントの合弁出資で新会社The Japanese Confection,Inc桜屋を設立。代表取締役に就任して経営にも参画することになった。
全米を視野に入れた事業展開に向けて、日本から和菓子職人を現地に送り込み、合わせて大規模な設備投資で機械化も断行した。
現在、全米35州向けに桜屋ブランドの和菓子を供給するまでの規模になっている。

一連の出来事をJAL『世界の旅』エッセイコンテストに応募すると、優秀賞を獲得してJAL機内誌に掲載された。
これをきっかけに講演依頼が相次ぎ、北は北海道から南は鹿児島まで「インターネットでニューヨークに会社をつくったIT饅頭屋」という演題で登壇を重ねた。
現在も福岡~ニューヨーク間を往復する松本社長は、「アメリカでの和菓子ビジネスでは、全50州での供給を目指しており、アラスカからハワイまで桜屋の和菓子をお届けしたい」と意気軒高だ。

「永遠に生きるように学べ、今日死んでもいいように生きろ」

ほうじ茶を練り込んだ生地と上品な甘さのあんこを特色とする『お茶々万十』の本舗である富貴は創業から半世紀を超え、福岡市に2店舗(薬院店、高宮店)、福岡都市圏南部に2店舗(春日本店、南ヶ丘店)を構える。

二代目経営者である松本社長は、新ブランド和菓子の共同商品化や全米での和菓子ビジネスなどで一見華々しく見えるが、「自分自身は体験主義者であり、成功・失敗に関係なく体験が人を大きくすると考え、いろいろチャレンジしたので、失敗も多い」そうだ。
教訓となった失敗として、百貨店への新規出店に際して新たに開発した別ブランド事業を挙げる。「百貨店に出店した店舗自体は、業界関係者らプロフェッショナルから高い評価を得たが、肝心の消費者からの評価が低く、結果的に撤退を余儀なくされた。事業見通しも含めて一言でいえば、甘かった」と渋い顔をみせる。

目下、松本社長が将来的なテーマとして意識するのは、3歳からラグビーを始めて高校・大学、そして社会人になっても現役を続ける三代目へのバトンタッチだ。
仕事柄、餅に勝るとも劣らぬ粘り腰をみせる松本社長は、「いかにパスをつないで、事業承継というゴールを目指していくかが重要だ」と将来への戦略を練る。

世代交代に向けた環境づくりとして、生産設備の更新による省力化と生産性向上にトライして、完全週休2日制の実現という自社における働き改革を実現した。
さらに地域一番店戦略においても新たなスクラムの組み方を現在、構想中だ。

自らの人生を奮い立たせる言葉として松本社長は、インド独立の父ガンジーが語った「永遠に生きるように学べ、今日死んでもいいように生きろ」を挙げる。ガンジー名言を胸に抱いて走り続ける松本社長にとって、ノーサイドのホイッスルは今しばらく鳴りそうに無い。

DATA

名 称:株式会社富貴
住 所:福岡県春日市伯玄町2-55-3
創 業:1967年11月
設 立:1989年7月1日
代表者:代表取締役社長 松本弘樹
事 業:和菓子の製造・販売
URL:https://www.e-wagashi.jp/

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